2005 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
16720063
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Research Institution | Teikyo University |
Principal Investigator |
水越 あゆみ 帝京大学, 文学部, 講師 (50239232)
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Keywords | ロマン主義 / 比較文学 |
Research Abstract |
明治20年代の初期浪漫主義運動の主要メンバーで、日本近代詩の創始者である島崎藤村は、若き日の自作『破戒』を「めざめたる者の悲しみ」と評した。「自我の目覚め」「個性に目覚める」といった表現は、明治浪漫主義のみならず日本近代文学の誕生・発展を語る上での常套句となっている。この「目覚め」というcliche/criteriaは、次のような自明(とされてきた)事実を前提としている。すなわち、前近代封建社会においては抑圧され眠っていた「真の自我」が、明治維新後の近代市民社会の勃興と共に「目覚め」た、というものである。この「近代自我の目覚め」言説は、長らく日本近代文学研究のパラダイムを支配してきた。明治以降の日本文学はしばしば、近代自我の表出の成功の度合いによって作品の優劣を評価されてきたのである。だが、「近代自我」(the modern self)がその規範・理想として仰いだ「西洋的自我」(the Western self)は、1960年代以降、フーコー、ラカン、デリダら西洋の思想家自身によって徹底的に批判され、解体された。自律的な主体としての自我(the autonomous self / subject)の幻想が崩れ、自己(self / subjectivity)とは歴史上の諸条件によって構築される流動的なものであることが明らかとなった。このドラスティックなパラダイム転換に応じて、明治浪漫主義の定義-「自我」の確立・解放-も再考を迫られる筈であるが、現在でも依然として「自我の目覚め」言説は支配的であるように思われる。本研究では、従来の文学研究よりも広い視野を持つ比較文学・文化研究的な視点から、明治浪漫主義のself / subjectivityの問題に新たな光を当てるものである。
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Research Products
(1 results)