2017 Fiscal Year Annual Research Report
バイロン受容の日英比較の比較文学的・思想史的研究-1837年から1945年まで-
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16H05938
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Research Institution | Tsuru University |
Principal Investigator |
菊池 有希 都留文科大学, 文学部, 准教授 (70613751)
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Project Period (FY) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 比較文学 / 北村透谷 / カーライル / バイロン / 『蓬莱曲』 / 『サーター・リザータス』 / 近代の超克 |
Outline of Annual Research Achievements |
当該年度は、まず、前年度に行なった学会発表の内容に〈近代の超克〉という新たな論点を加え、「ロマン主義による近代の超克―北村透谷『蓬莱曲』とトマス・カーライル『サーター・リザータス』」と題する論文としてまとめた。 上記論文では、北村透谷の劇詩『蓬莱曲』がカーライルの『サーター・リザータス』を受容していることの意味を比較文学的に考察し、『蓬莱曲』の大魔王の表象の淵源が、カーライルが批判したベンサム流功利主義の世界観・人間観にあること、そして、大魔王による世界の破壊の表象が、すべてを機械化し合理化する近代主義によってもたらされるニヒリズムの世界のイメージとして解釈できることを論証した。あわせて、透谷とカーライルの間にロマン主義による〈近代の超克〉の表現に差異があることも確認し、そこに、西洋近代と近代日本における啓蒙主義・合理主義の思想的基盤の有無が関わっている可能性についても示唆した。 カーライルは、バイロニズムを、自己の幸福のみ追求し不幸の意識に拘泥する心性と捉えつつ、ベンサム流功利主義の量的快楽主義の世界観・人間観に親和的なものとしているが、このような捉え方は、バイロニズムを、単なる私利私欲に基づくブルジョワ中産階級の道徳にまで平板化してしまう危険性を孕むものである。しかしながら、バイロニズムは、そのような資本主義の原理に基づく近代市民社会の論理には回収しえないものを含んでいる。この点については、バイロンの貴族主義的心性を、当時のヴィクトリア朝期のイギリス国民の「俗物主義」(British Philistinism)のアンチテーゼとして肯定的に評価したM.アーノルドのバイロン論が注目されるわけだが、M.アーノルドのバイロン論の検討の過程で、これが『青年』の中で林房雄が展開したバイロン理解とかなり親近性があることを確認した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
バイロニズムの心性をベンサミズムの人間観・世界観に回収してしまうカーライルの捉え方が特異なものであることはもとより明らかであったので、この捉え方の特異性の内実を検討すべく、その淵源を、バイロンを「悪魔派」(Satanic School)として批判したサウジーとの関わり(注:カーライルも『サーター・リザータス』の中で「悪魔派」という語を使用している)に注目して明らかにしようとしたのだが、あまりうまくゆかず、時間を空費してしまった観がある。むしろ、カーライルのバイロニズム観の特異性・一面性はそのまま認めた上で、バイロニズムの本質を理解していた側のバイロン受容・バイロニズム受容の方を追うべきであった。 このように、ヴィクトリア朝期のバイロン受容・バイロニズム受容の系譜の整理については、やや遅滞してしまったことは否めない。ただ、当該年度の検討の中で、バイロニズム受容のありようを近代資本主義の論理との距離を測定しつつ整理してゆくことの有効性それ自体は確認できたこと、そしてその整理の上でM.アーノルドのバイロン論が中核となり得るであろうという目算を立てられたことは、一定の成果であった。従って、以上の理由から当該年度の進捗を「やや遅れている」と自己評価する。
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Strategy for Future Research Activity |
次年度は、当該年度において十全に検討し切れなかったヴィクトリア朝期イギリスにおけるバイロン言説の整理・分析を中心に行う。その際、サウジーやカーライルが使用した「悪魔派」(Satanic School)という評語によって平板化されたきらいのあるバイロニズムが、後年、M.アーノルドにより、近代資本主義社会に蔓延するブルジョワ中産階級の「俗物主義」(Philistinism)を撃つものとして再評価されたことの意味・意義を明らかにすることを第一義とする。 当該年度に行なった検討により、M.アーノルドのバイロン論が、北村透谷のバイロン理解に影響を与えたのみならず、時代を下って、林房雄のバイロン理解にも影響を与えていた可能性も出てきた。M.アーノルドのバイロン論が、明治期の透谷と昭和前期の林とをつなぐものであることを示せれば、前著においてなしたよりも、より太く明確な描線で近代日本精神史を描くことができるのではないかと期待できる。 さらに、M.アーノルドと同国人のW.H.オーデンも彼のバイロン論を読み、それに影響ないし共鳴するところがあったということまで示し得るならば、上記の精神史描出の試みはより立体的なものとなり得るであろう。次年度は、第一次大戦から第二次大戦までの時期の日英両国のバイロン受容のあり方を複眼的に見つつ、林とオーデンのバイロン受容の共通性と相違性を明らかにしてゆく計画であるが、その際、比較対照を行なうための軸としてM.アーノルドのバイロン論が有効であることを示せれば、両者を比較する蓋然性があることも主張できると考えられる。 以上の理由から、これまでの研究成果をこれからのそれにつなげてゆく上で、M.アーノルドのバイロン論は要となると考えている。従って、次年度は、M.アーノルドのバイロン論についての考察を重視しつつ研究を進めていきたいと考えている。
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