2016 Fiscal Year Annual Research Report
近代日本におけるシノロジー:総合的中国研究としての「支那学」とその可能性
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16J07221
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
水野 博太 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2016-04-22 – 2019-03-31
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Keywords | 服部宇之吉 / 孔子教 / 支那哲学 / 漢学 / 草創期の東京大学 / 島田重礼 / T.H.グリーン / ヘルバルト主義教育思想 |
Outline of Annual Research Achievements |
当該年度は主として(1)服部宇之吉の「孔子教」論の形成過程,(2)それに先立つ最初期の「支那哲学」の形成過程を示すものとしての東京大学草創期における漢学および「支那哲学」の実態に関する研究を進め,その成果を発表した。 (1)服部の儒教観・孔子観が従来考えられていたよりも大幅に早く形成されていたこと,またそこにおいて,当時日本において受容されていたグリーンの人格主義的倫理学やヘルバルト主義教育思想などの影響が見て取れることを示した。研究成果はまず日本思想史学会において発表され,論文としては『東洋文化研究』第19号に掲載が決まった。本研究を遂行するにあたり,補助金を用いて近代日本思想および近代西洋思想に関する文献(事典類を含む)を多数購入した。 (2)以下のことを明らかにした。英語を以て洋学を教授する全くの洋学学習機関であると従来は考えられていた大学南校や東京開成学校において,漢学は軽視・無視されていたのではない。むしろそれは文章力向上の手段として,あるいは翻訳書の読解能力向上の補助として,漢学の知識体系そのものの獲得を目指すという位置付けから,漢語知識を主とした言語能力向上のための手段としての位置付けへと変化し,それは三島中洲・中村正直らの漢学者・啓蒙知識人にも広く共有された考え方であって,彼らが教授を務めた初期の東京大学における漢学にもその位置付けは継承されていった。しかしながらそのような「手段」としての漢学の位置付けは,主として島田重礼によって変化させられ,西洋哲学のカウンターパートとしての「支那哲学」の形成へとつながっていった。これに関する論文を『日本中国学会報』に投稿し,現在審査中である。本研究を遂行するにあたり,補助金を用いて中国哲学および日本漢学に関する文献を多数購入した。また他大学図書館所蔵の貴重資料を閲覧するため,日帰りの出張を1回行った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
当該年度は,服部に関する研究を一定程度まで進めた後,「京都支那学」の全貌を掴むという目的の下,高瀬武次郎に関する調査を開始した。高瀬は東京帝大を卒業して京都帝大教授を長らく務めた支那哲学者であり,世代としては服部宇之吉のやや後である。 しかしながら,調査を進めて行くうちに,高瀬のみならず「京都支那学」を形成した世代の支那(哲)学者たちや服部の学術を考える上では,彼らに影響を与えた島田重礼・井上哲次郎など東京大学草創期において活動した人物,また同時期の同校における漢学・支那哲学の位置付けが明らかにされる必要があると感じられ,さもなければそこから発展していった東京および京都の「支那哲学」や「支那学」に関する理解が深まらず,今後の研究にも支障をきたすことが予見された。そこで,年度途中より「研究実績の概要」(2)で述べたような研究を開始し,表記の通り一定の成果を得た。 なお本年度途中まで行った高瀬武次郎研究としては,井上哲次郎『日本陽明学派之哲学』を起点とする従来の近代日本陽明学史に関する問い直しの中で,井上に先立つ存在としての高瀬武次郎の陽明学研究について調査を行った。その結果として,次のような結論を得た。すなわち,明治20年代において,陽明学に対する関心はまず三宅雪嶺など「民間」の立場に居た者たちから起こった。これに対し,のちに「官」の立場から陽明学を解釈した代表論者とされる井上哲次郎は,陽明学に対する言及自体は早くから行っていたものの,陽明学に積極的な価値を見出すような論旨は未だ定まっておらず,「民間」における陽明学解釈に対して有効な反論を行うことはできていなかった。そのような状況の中で,初めて「官」学的な陽明学解釈の原型を示したのが,明治31(1898)年に出版された高瀬武次郎の『日本之陽明学』であり,これは井上哲次郎『日本陽明学派之哲学』の原型となった。
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Strategy for Future Research Activity |
東京大学草創期,すなわち「支那哲学」という学問分野の草創期における実態を更に明らかにする必要がある。第1年度においては,洋学教授機関である東京開成学校・東京大学において「漢学」がどのように自らの存在理由を示し,また実際に生き延びたのかについて探求したが,第2年度においては,その「漢学」が補助的な「手段」としての位置付けを超えて「支那哲学」へと変容していく過程を更に具体的に明らかにする。これにより,当初の本研究目的に掲げた「「漢学」から「支那哲学」への連続性および断絶」の実態がより明確になり,支那哲学・支那学の持っていた「総合性」へのアプローチにも寄与する。 具体的には,前述の島田重礼の東京大学草創期における動向の他,同時期に「東洋哲学史」を講じて西洋哲学の概念を用いながら漢学(支那哲学)を分析してみせた井上哲次郎についても調査を進める。合わせて,学術形成の場としての同時期の東京大学それ自体の動きについても引き続き調査の対象となり,東京開成学校以来綜理を務めた加藤弘之や,東京大学の「帝国大学」への改編にイニシアティブを発揮した渡辺洪基および同時期の知識人についても調査の対象となる。研究方法としては,2次文献を用いた調査のほか,特に明治10年代の島田・井上や東京大学それ自体の動きについては,各図書館・資料館における1次資料をも探索する。 加えて,井上が吸収して漢学の分析に用いて見せた西洋哲学の受容状態およびそれが「支那哲学」の形成について与えた影響や,同時期の西洋における中国学(シノロジー)の動向およびその日本における受容についても調査・分析を進め,更にそれらがより後世(服部宇之吉・狩野直喜・高瀬武次郎ら)の「支那哲学」および「支那学」の形成にどのような影響を与えていったのかを追究する。研究方法としては国内での文献調査が主となるが,必要に応じて海外資料調査を行う。
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Research Products
(4 results)