2017 Fiscal Year Annual Research Report
大西祝と明治・清末の思想界――近代初期「批判」論の可能性
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16J09786
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
郭 馳洋 東京大学, 総合文化研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2016-04-22 – 2019-03-31
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Keywords | 現象即実在論 / 明治哲学 / 明治宗教学 / 井上哲次郎 / 清末思想 / 万物一体論 / 梁啓超 / 章炳麟 |
Outline of Annual Research Achievements |
今年度は前年度の成果に基づき、井上哲次郎の言論を考察し、さらに当初予定していた明治と清末の思想的関連性の探求に取り組み始めた。研究の実施状況は以下のように整理している。 1.<哲学>とそれ以外の諸分野の間テクスト性を問うという従来の問題意識を踏まえ、井上の現象即実在論および宗教観・倫理観を分析し、明治20年代以降の政治的社会的文脈における現象即実在論の位置づけを一層明らかにした。その成果を2017年6月23日に香港中文大学で報告した(Academic Workshop on Japanese Studies for Ph.D. Students from Leading Asian Universities)。これを機に、日本研究に携わる東アジアの若手研究者たちとの交流が実現した。 2.現象即実在論と国民道徳論の内的連関を探るにあたって、井上における「宗教」をその哲学と政治思想を媒介するものとして捉え直した。2017年10月28日の日本思想史学会年度大会では不十分ながらもこの問題について報告した。上述の1.と2.で触れた二つの発表の論点を一部反映させた論文「明治期の哲学言説とネーション・社会」は『年報 地域文化研究』第21号に発表した。 3.明治日本の哲学・宗教関係の学知を清末の知識人が吸収したという事実を踏まえ、明治と清末における知の同時代性を視野に入れた。先行研究の参照と一次テクストの読解を通して、譚嗣同、康有為、梁啓超、章炳麟らの哲学・宗教言説には万物一体論的な思考が内在しており、しかもそれは明治の現象即実在論と構造的類似性を有することが判明した。この事象を脱呪術化と再呪術化という概念装置で浮き彫りにしてみた。その初歩的な成果は「明治と清末の哲学・宗教言説と近代性――現象即実在論と万物一体論をめぐって」と題して駒場キャンパスで行われた大学院生ワークショップで報告した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
今年度の予定として現象即実在論(井上哲次郎、井上円了、清沢満之)の性格の更なる解明、大西祝以後の「批評」論とりわけ戸坂潤のそれに関する分析、さらに同時代(清末)の中国知識人の哲学・宗教言説との比較が計画された。ただし実際、井上哲次郎の言論を考察しその成果を論文にまとめたことは予想以上に時間がかかったため、当初予定していた井上円了や清沢満之の現象即実在論の考究に入る余裕はなかった。しかし井上哲次郎の哲学論と宗教観を調べたことで清末の思想家によって展開された万物一体論との類似性を発見したのは予想外の収穫で、清末思想に関する今後の研究に寄与できるかと思われる。また、投稿論文の完成には至らなかったものの、戸坂潤のテクストの読解はある程度進んでおり、明治・清末思想史の比較研究も初歩的な成果が挙がり、それを年度末の(大学院生を主体とする)ワークショップで発表した。以上の事情を踏まえ総合的に判断した結果、本年度の進捗状況を「おおむね順調に進展している」とした。
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Strategy for Future Research Activity |
今後の研究の推進方策は以下のようなものである。 1.今年度の研究から浮上してきた論点を一層展開させる。主に、日本と中国におけるドイツ観念論(とくにカント)の受容およびその過程で生じた「ズレ」の思想史的意味を明らかにすること、近代の宗教ないし「宗教学」そのものをめぐる先行研究を取り入れること、近年注目を浴びている「近代仏教」の視点を導入すること、さらに啓蒙主義と近代性それ自体の問題を批判的に捉えることなどを念頭に置く。 2.本研究にとっての鍵概念「批評」(批判)に関しては、引き続き二つの方向から考察を深める予定である。一つは近代「批評」の物質的な面、つまり「批評」が身体性を獲得する場としての新聞・雑誌についてのメディア論的なアプローチである。もう一つは思想としての「批評」、いわば広い意味での「批評的なもの」への着目である。近代日本に関しては大西祝と戸坂潤の批評論および両者の間にあった「文明批評」・「文化主義」の言説(高山樗牛、桑木厳翼、土田杏村、長谷川如是閑など)を調べ、近代中国に関しては譚嗣同、章炳麟やその後の批評家たちのテクストを読み込み、「現象即実在論」や「万物一体論」のような一元論的な思考様式と「批評」との癒着もしくは緊張関係を究明することによって、近代における「批評」の(不)可能性を問う。 3.上述の1.と2.の成果に基づいて「東アジアにおける近代性」というパースペクティヴによる明治・清末思想史の把握を試みる。そのためにはとりわけ清末思想史関係の文献を消化し、近代性の問題に焦点を当てた理論書をさらに読み進める。人的交流や思想上の影響関係をめぐるこれまでの実証的研究を土台としながら、近代日本・中国の思想状況をともに解釈できる理論的枠組みの提示を目指したい。 以上の考察で得た結果を学会で発表し、論文にまとめて投稿する予定である。
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