2017 Fiscal Year Research-status Report
Project/Area Number |
16K01624
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Research Institution | Kyushu University |
Principal Investigator |
西村 秀樹 九州大学, 人間環境学研究院, 教授 (90180645)
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Project Period (FY) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 伝統芸能 / 剣術 / 同調 / 競争 / 懸待 / 身体感覚 |
Outline of Annual Research Achievements |
伝統芸能 (能、文楽、浄瑠璃、三曲合奏、日本舞踊、邦楽) および江戸時代の剣術諸流派 (柳生新陰流、平常無敵流、天真伝一刀流、心形刀流、無刀流など) における「同調」と「競争」の交錯について考察した。伝統芸能、とりわけ能楽においては、「同調」が本質であるから、謡と囃子の楽器との同調に「競争」を含むことによって緊張関係を残したまま終了する。一方剣術においては、「競争」が本質であるが、剣士は間合いで「同調」を取り入れることによって勝利をより確率高いものにしようとする。しかし、両者は「同調」と「競争」の交錯が織りなすプロセスを共有している。こうした相反立する「同調」と「競争」の統合を可能にしているものとして、身体感覚の「二重性」というものに注目した。 剣術においては、敵との駆け引きの根本原理として「懸待」がある。「懸」とは、自分から積極的に仕掛けていこうとする姿勢であり、「待」は、敵が仕掛けてくるのを慎重に待つ姿勢である。「待」は敵の動きに合わすことすなわち同調に必要とされる姿勢であり、「懸」は先んじて競争を仕掛ける姿勢である。柳生新陰流は、この「懸」と「待」とを「身体と太刀」別に、および「心と身」別に使い分けることを協調する。太刀を持った手以外の身体部分は「懸」に、太刀を持った手は「待」にというように、異なった姿勢すなわち身体感覚を持たせるのである。身体を攻撃へ向けた身体感覚にすることによって敵を誘い、「待」にしていた手の作用を発動させることによって勝つ。同一の身体において、異なった二つの身体感覚が分有されている。柳生新陰流奥義の「転」つまり「敵に随ひて勝つ」では、敵の動きに随いながらも、その随うなかで攻撃に備えている身体がある。すなわち、「同調」へと向かう身体感覚と、「競争」へと向かう身体感覚が交錯すると言える。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
剣術において、達人同士の対戦ともなると、「間合い」すなわちエントレインメントが生成される。このエントッレインメントは、一方が前へ押すと、他方が後ろへ引くといった動きをする「同相移動」において形成され、これが崩れるとお互いが同時に前進するか後退する「逆相移動」となり、この相において勝敗が決する。一方の前進と他方の後退が同時になされているのだから、両者は実際の行動としては表出しない「潜在的」な「同型同調」を通して互いの動きを予期しており、そうして互いを予期しているゆえに両者が動けない膠着状態が生まれる。この膠着状態では、両者の「応答同調」が潜在的に交錯しているのである。それは、お互いに打ち込めるが、同時に打ち込まれる状態である。こうした「同調」と「競争」との交錯のなかに「引き分け」を見いだしていくことは、剣術における「場」の生成に即した視点であると考えられる。また、ここにおいて、身体の潜在的な「作用」というものが明らかになっていくと考える。
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Strategy for Future Research Activity |
柔術は「対立しない」ということを根本原理とする。正面対決、すなわち力のベクトルが真っ向からぶつかるのを徹底的に避ける。起倒流の伝書『狸尾随筆』には、次のようにある。水上に瓢箪を浮かべて手で押すと、脇に飛び出てしまう。どれほどの力で押しても、留まることはない。そのように、敵の力に逆らってはいけない。これは、波の上に浮かぶ木に似ているが、それとは少し異なっている。この書はこの両者の違いについて、「波上浮木は敵に随応するの勝、水上胡虚子は敵の気外るる所の勝にて陰陽の明なり」と表現する。「波上浮木」は、「浮立つ波には浮き、沈む波には沈むが如く」、敵の力には逆らわず、それに随い応じて、その気力を察して勝利を得るというものである。この敵に随応するというのは、柳生新陰流をはじめ剣術諸流派一般にも見られるものである。そこにおいては、潜在的に敵に「同型同調」しながら、それによって得た「予期」をもとに「応答同調」しているということである。言い換えれば、敵に同型同調しながらも、反面において同調しきらず自己を保っているということに他ならない。「波上浮木」の根底には、身体感覚の「二重性」が存在している。もう一方の「敵の気外るる」というのは、いわば敵からの「かかり」を外すということである。そして、この「かかり」とは敵と自己との「関係性」に他ならない。「身体的関係性」である。敵の力に逆らわず、「敵に随応する」といった場合も、自己と敵の関係性を述べている。前述のように、柔術は剣術以上にベクトルの真っ向のぶつかり合いを避ける。そして、敵に隙=虚をつくるためのさまざまな関係性を探る。それは、戦術上優位な空間的・時間的・心理的なものである。こうした脈絡から、「身体的関係性の操作」という観点で柔術の特徴および身体の潜在的な「作用」を考察して行く。到達点は「引き分け」を越えるので、方向修正が必要であると考える。
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