2022 Fiscal Year Research-status Report
カザフスタンにおける伝統医療とイスラームの人類学的研究
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16K02028
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Research Institution | National Museum of Ethnology |
Principal Investigator |
藤本 透子 国立民族学博物館, 人類文明誌研究部, 准教授 (10582653)
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Project Period (FY) |
2016-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | 文化人類学 / イスラーム / シャマニズム / 中央アジア / 伝統医療 |
Outline of Annual Research Achievements |
中央ユーラシア草原地帯の社会・宗教動態に関して、歴史学と連携しながら人類学研究を位置づけるため、カザフスタンのR.B.スレイメノフ東洋学研究所の研究者と連絡をとりつつ分析を進めた。カザフ社会におけるイスラームについては、人生儀礼や結婚に関する論考を執筆した。また、関連文献を読込み、エムシと呼ばれる治療者の活動について検討した結果、次のことがわかった。 中央ユーラシアの諸社会は、歴史的にシャマニズム、祖先信仰、マニ教、ゾロアスター教などの宗教的多元性を有していた。14~16世紀頃におけるテュルク系遊牧民の段階的なイスラーム化には、スーフィー教団の導師が大きな役割を果たした。シャマニズムとスーフィズムは観念上異なるが、身体を動かし忘我の状態で不可視の存在に祈る点で儀礼的行為に共通性がある。カザフのバクス(シャマン)がスーフィズムのズィクルと称する儀礼を行うことは、こうした歴史的文脈を踏まえて理解すべきものだろう。 カザフを含む中央アジアのシャマンの主な活動は、病気治療であった。現在では、エムシの活動にシャマニズムの要素が含まれる。エムシはグループを組織して聖者廟などに参詣し、病気の治癒や開運を祈願する。聖者廟はしばしばスーフィー教団の導師の墓に由来し、泉や洞穴も聖者に関連付けられ参詣の対象になっている。エムシの活動は、アニミズム、シャマニズム、スーフィズムの歴史的重層性の上に展開されていると考えられる。 エムシは自分の祖先の系譜を強調することが多い。系譜の重視は一般にテュルク系遊牧民の社会の特徴であり、また歴史的にチンギス・ハンの子孫トレと預言者の子孫であるサイイドが社会的権威を有していたが、明確にシャマンの家系とされるものはない。子孫すべてではなく、特定の子孫に受け継がれた素質が病いや夢の啓示により明らかになるという点に、エムシの系譜および継承に関する観念の特徴がある。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
4: Progress in research has been delayed.
Reason
健康上の理由で2022年9月から2023年1月まで断続的に病気休暇を取得し、たびたび研究を中断せざるを得なかった。また、基礎疾患があるために、新型コロナウイルス感染症の流行がやや落ち着きをみせた後も、国外渡航して調査を行うことができなかった。メールやソーシャルネットワークサービスなどを活用して現地と連絡を取りつつ研究を進めているが、実際に渡航して調査や研究交流を行う場合に比べ進捗に遅れが生じた。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究のテーマは宗教人類学と医療人類学の領域にまたがっており、これまで主に死生観や世界観などの宗教人類学的観点から研究を進めてきたが、伝統医療と近代的な医療の布置などに関する医療人類学的な分析が不足している。今後は、これまでに収集した関連文献を読み込むとともに、医療人類学的な視点を踏まえてデータを検討していく。 宗教人類学と医療人類学の双方に関わる研究として、シベリアを中心とするシャマニズム研究が参考になる。例えば、1991年に出版されたThe Anthropology of Medicine: From Culture to Method (Second Edition) 所収のM. M. Balzerの論文 “Doctors or Deceivers?: The Siberian Khanty Shaman and Soviet Medicine”は、近代的医療とシャマンの活動について次の点を指摘している。第1に、ソ連時代に近代的な医療制度が導入されシャマニズムが否定されたことにより、シャマンは詐欺師であるという考えが広まった。第2に、それにもかかわらずシャマンの治療儀礼への一定の信頼は継続しており、ハンティの人々は近代的医療とシャマンの治療儀礼の一方を完全に否定するのではなく、病気の種類によっていずれかの治療を選択するという態度をとっている。 こうした指摘は、ソ連時代のカザフ共和国における近代的な医療制度とエムシの活動の関係についてもある程度あてはまると考えられるため、一つの参照枠としてデータの分析を進めていく。また、ソ連解体後の混乱で医療システムが機能不全に陥った一方、社会への奉仕者としてのエムシの位置づけが薄れ、伝統医療が商業化するという状況の変化が生じるなかで、どのように治療が選択されているのかという点についても、歴史的文脈をふまえて検討し英語論文を完成させる。
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Causes of Carryover |
健康上の理由で、2020年度の国際ワークショップSocial and Religious Dynamics of the Central Eurasian Steppe: Anthropological and Historical Approachesの発表原稿の修正と、序論を執筆する作業に引き続き遅れが出たため、英文校閲費を使用しなかった。また、国外渡航して調査や打ち合わせを行えなかったため渡航費を使用せず、国内での資料収集やデータ整理の作業補助の謝金と、関連文献の購入のみが主な支出であった。 次年度に研究成果を学術雑誌に英語で投稿するために、繰越金は英文校閲費として使用する予定である。まず、代表者自身の原稿については、子どもの病気の治療に関して英語で執筆済みであるが、先述した研究の推進方策に沿って修正しながらまとめていく。それと並行して、国外からの発表者のシャマニズムに関する人類学研究の原稿を読み込む。もうひとりの国外からの発表者の歴史学研究の原稿に関しては、必要な個所をロシア語から英語に翻訳する。これらを総合しながら、序論を執筆して英文校閲にかける。
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