2018 Fiscal Year Research-status Report
Cinema and Sound in East Asian Mediasphere: in the Case of Japan and Joseon in the1920s and 1930s
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16K02308
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
朱 宇正 名古屋大学, 人文学研究科, 助教 (40770524)
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Project Period (FY) |
2016-10-21 – 2020-03-31
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Keywords | 植民地朝鮮 / 映画批評家 / 発声映画 / 言説分析 / 1930年代 / 映画産業 / 朴基采 / 徐光霽 |
Outline of Annual Research Achievements |
今年度は、主に植民地朝鮮の映画批評家たちの発声映画に対する批評を分析し、その批評の異なる対象と主題の間に生じる複雑な関係を言説として捕らえ、その全体像を把握する研究を行った。分析の対象にした評論はその間収集してきた1930年代の雑誌(『文章』、『批判』、『四海公論』、『朝光』など)からの一次資料で、とりわけ朴基采、徐光霽、呉泳鎭、金管など、日本での留学や日本映画産業に従事した経験がある批評家たちが発表した文献を中心に調査した。 彼らの批評の対象は、発声映画の「美学(Aesthetics)」と「産業(Industry)」的側面という二つの分野におおむね分けて整理することができた。まず美学的には発声映画に関するソヴィエト・モンタージュ理論の影響が強かった。それはソヴィエト理論の翻訳(特にプドフキンの著作)やモンタージュ理論を発声映画にどう適用するかについての議論から確認できる。また発声映画と他の芸術との相互関連性についての理論的考察も活発であった。文学との間には文字の芸術である文学原作を視聴覚芸術である発声映画に翻案する時の問題について文学評論家との間に激論が起こっていた。発声映画と無声映画との関係についても、二つが連続性を持つ芸術か、お互い区別されるメディアのかが重要な論点であった。 産業的側面では日本や他の国と同じく、発声映画製作がもたらす大資本調達や製作・上映施設確保などの問題が核心的に論じられた。ただ、朝鮮の場合、植民地という特性で、産業的な基盤は著しく弱い、結局その解決策を海外市場との連携、とりわけ日本との共同制作や日本の劇場での上映などを求めることになった特徴があった。その海外市場への進出のため、発声映画製作の必要性はさらに増え、朴基采や徐光霽などの批評家たちは、日本での経験を活かせ、監督として直接発声映画の製作まで関わったことが分かった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
まず今まで調査してきた植民地朝鮮の発声映画関連批評を整理して、その言説としての全体像を提示することができたのは本研究の全体的な流れに一歩を進めた結果であると評価できる。とりわけ、その言説の間の関係を分析して、発声映画の美学という理論的な観点が、産業的な製作の問題にどうつながっていたのかを明らめて、二つの言説が離れているものではないのを示したことは今後関連研究を進めるに大きいな意味があると考えられる。またソヴィエト理論の影響や、日本の映画産業との連携など、発声映画をめぐっていわゆる「トランスナショナル」な観点からのアプローチが活発になっていたことも今後の研究に示唆するところが多い。これは前年度、日本映画界の場合として研究した映画製作者・城戸四郎や批評家・帰山教正の場合と比較しながら、東アジアにおける初期発声映画の問題として考察するのもできると考えられる。
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Strategy for Future Research Activity |
前年度と今年度の成果を、「批評」の側面から見る初期発声映画の言説という内容で一つの章に合わせる計画である。とりわけ、日本の批評家と植民地朝鮮の間の共通点と相違点を総合的に論じるように取り組む。そのため、まだ残っている日本・朝鮮両方の一次資料の整理・分析をとり急ぐ。とりわけ、両国の批評家たちの間に存在した可能性がある相互引用や、共同作業などに注目して、例えば、ソヴィエト理論に関する翻訳の流入や日本語で書いてある朝鮮批評家の著作物などを調査・確認する。 またその中から、まず帰山教正の場合をとりあげ、既に前年度国際学会で発表した内容を捕捉し、論文として発表を行う。とりわけ、1910年代から西洋の映画文法を基にして映画メディアの独自的なレアリズムを主張した彼の立場が、トーキーというさらに新しいメディアの発達によってどのように変化し続けたのかを考察する。その次には、朝鮮の批評家の中、朴基采、徐光霽の場合を取り上げ、批評家と同時に監督であった彼らの批評に見られる共通の関心事と異なる観点を比較的に考える論文に取り組む予定である。
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Causes of Carryover |
研究成果の発表するための人件費の執行が翻訳作業の遅延によって部分的に行われた。来年度に残り部分の執行が予定されている。また国内関連学会への参加費用にも支出が予定されている。
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