2016 Fiscal Year Research-status Report
Project/Area Number |
16K04176
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Research Institution | Tohoku University of Community Service and Science |
Principal Investigator |
竹原 幸太 東北公益文科大学, 公私立大学の部局等, 准教授 (30550876)
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Project Period (FY) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | 太田秀穂 / 小川恂臧 / 少年院 / 矯正院法 / 少年法 / 少年審判所 / 少年保護司 / 少年保護思想 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は第一に、1922(大正11)年矯正院法の下、設立された多摩少年院初代院長である太田秀穂と浪速少年院初代院長である小川恂臧の少年保護関係の資料調査を行った。具体的には、日本少年保護協会編『少年保護』、鮎川潤監修『戦前期少年犯罪基本文献集昭和編Ⅱ』に所収される太田、小川の論稿とともに多摩少年院、浪速少年院の教育方針や教育内容等を検討した。併せて、矯正図書館、明治学院大学図書館所蔵小川政亮(小川恂臧の長男)文庫において、少年保護関連資料の収集・分析を行った。ただし、小川政亮文庫については閲覧制限資料も多く、小川恂臧の残した手書き原稿や職務日誌等の閲覧はできない状況であった。 第二に、東京少年審判所・多摩少年院、大阪少年審判所・浪速少年院に続き、1934(昭和9)年に名古屋少年審判所・瀬戸少年院が設立されるまでの時期における少年保護思想について整理した。その上で、感化法(少年教護法)と少年法という法理上の違いはあるものの、実務上は小川恂臧、中川貫一等、国立感化院の武蔵野学院から少年院職員へと異動する者もあり、太田秀穂も武蔵野学院初代院長の菊池俊諦と交流を保ちながら、自由主義的立場から少年保護思想を唱えていたことを明らかにした。 第三に、戦前の少年保護実務では、少年審判官、少年保護司、少年院職員を相互に異動していく仕組みであったことを確認し、東京少年審判所三代目所長の鈴木賀一郎や大阪少年審判所三代目所長の永田三郎の論稿等に注目しながら、少年審判、更生保護、矯正教育を持ち場とする職員間での少年保護思想の比較検討を行った。 以上に加え、少年院や感化院(少年教護院)に関わる報告のある学会、研究会に参加し、少年保護研究の情報収集も行った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
研究計画書に示した通り、太田秀穂と小川恂臧の少年保護思想の検討を行い、2年目以降に計画していた雑誌『少年保護』における論稿分析も前倒しで実施することで、両者の少年保護思想の特色を明らかにすることができた。 具体的には、太田は自由主義的立場から少年保護を捉え、戦時中は少年院長から少年保護司へと立場は変わっていたものの、それまでの少年保護思想を貫いたこと、小川は自由主義的立場から少年保護を捉えつつも、戦時中は少年院長として軍事教練を説かざるを得ない状況にあったことを確認した。 併せて、特殊教育の経験が不足していた太田は多摩少年院長として障害に基因する非行児の取り扱いに苦労し、特殊教育が必要な科学的処遇の調査は院医の谷貞信に託していたものの、少年の脱走等が問題となり実質的に更迭される形で1934(昭和9)年に院長を退いたことを確認した。 一方、武蔵野学院での実務経験を有していた小川は浪速少年院でもその経験を活かし、自他の敬愛を教育理念として掲げ、早い段階で分類処遇を整え、浪速少年院の実践の基礎を築いた功績から、1935(昭和10)年には多摩少年院二代目院長の小野五郎の急逝に伴い、三代目院長へ異動し、多摩少年院の実践の安定にも尽力したことを確認した。
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Strategy for Future Research Activity |
本年度の研究作業を踏まえつつ、戦時体制が強まる1930年代半ば以降の少年保護思想の変容と内実について検討する。 第一に、司法省の通知等を分析しながら、戦時期における少年保護事業全体の方針について確認した上で、雑誌『少年保護』等を素材として、全国各地に設立されてくる少年院の矯正教育において、いかなる教育方針が打ち出され、実践が展開されていたのかを考察する。 第二に、太田、小川以外の少年保護実務家の少年保護思想について検討を加え、矯正院法施行後の草創期から少年院で勤務していた職員と1930年代半ば以降に設立されてくる少年院で勤務した職員との間で少年保護思想に違いはあったのか等、戦時期における少年保護思想の類型化を行う。その上で、太田や小川に加え、草創期から少年院に勤務していた職員が、戦時期の少年保護事業の全体方針をいかに見ていたのかを考察する。 第三に、感化教育・少年教護分野の菊池俊諦のように、鈴木賀一郎がジュネーブ宣言に注目して、「児童の権利」保障の観点から少年保護実践について論じていたこと等を踏まえつつ、少年保護分野においては、社会権的観点に加え、少年審判での適正手続き論等、自由権的観点から「児童の権利」が語られることがあったのか否かを検討する。
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Research Products
(3 results)