2019 Fiscal Year Research-status Report
1720年代から1820年代フランスにおける市民教育論の形成に関する研究
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16K04505
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Research Institution | Doshisha University |
Principal Investigator |
越水 雄二 同志社大学, 社会学部, 准教授 (40293849)
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Project Period (FY) |
2016-04-01 – 2021-03-31
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Keywords | フランス教育史 / 市民教育 / 古典人文学 / フランス啓蒙思想 / シャルル・ロラン / フェヌロン / ルソー / コンドルセ |
Outline of Annual Research Achievements |
フランス近代において、社会を担う構成員としての〈市民〉(citoyen/citoyenne)を育成する教育はいかに追求されていたのか。本研究は、1720年代から1820年代までを対象として、そうした〈市民教育論〉の形成を、古典人文学の創造的な継承とジャンセニスム思想からの影響という二つの側面に着目しながら考察している。 この目的は、〈市民教育論〉の形成を捉える観点から、従来の教育史研究の主要な分析視角であった公教育もしくは学校教育と私教育もしくは家庭教育との二分法に囚われず、伝統文化と啓蒙思想との対立や教会と国家との抗争といった図式による把握も相対化して、フランス近代教育思想の展開について新たな解釈を提示することにある。また、本研究は、近年欧米各国や日本で実践課題になっている「シティズンシップ教育」や「市民性育成教育」などに関する思想上の源流を見直す試みにもなろう。 本研究は、次の二つの作業を並行させて進めている。一つは、18世紀前半に公刊されて19世紀後半まで幾度も版を重ねたシャルル・ロラン(1661-1741)による『人文学を教え、学ぶ方法―知性と心につなげて』(1726-28、全4巻)の内容を明らかにするとともに、刊行後およそ1世紀の間に見られたその受容を検討する作業である。 もう一つは、フェヌロン(1651-1715)・ルソー(1712-1778)・コンドルセ(1743-1794)といった日本でもこれまで研究されてきた著名な思想家による著作を〈市民教育論〉の観点から再検討する作業である。さらに彼らに加えて、日本ではほとんど知られていない女性の論者、すなわちカンパン夫人(1752-1822)とギゾー夫人(1773-1827)による19世紀前半の女子教育に関する著書も、フランス革命後の教育課題が語られていた〈市民教育論〉に関連する史料として新たに紹介し検討を行っている。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
フランス革命下の1791年9月に公布された憲法は、第Ⅰ編に「自然的かつ市民的権利」の一つとして、公教育Instruction publiqueの創設を「すべての市民に共通で、すべての人間に不可欠な教育の部分は無償の公教育が創設され組織される」と掲げた。革命の前の段階で女子にも学校教育の必要性が認識されていたのだろうか。筆者は本年度、シャルル・ロランが1734年に公刊した『人文学を教え・学ぶ方法に関する論考の補遺』の中の「女子教育論」を考察した。 ロランの「女子教育論」は、誕生から6・7歳頃までは性の区別なく人間形成を捉え、その基盤に信仰の涵養を据えた。7歳以降の女子に特化される教育内容は、神の摂理によって人間本性(自然)に基礎をおく両性間の役割分担に基づいた。女性の本務は良き妻として家政を切り盛りすると同時に良き母として子どもを教育する役割であり、これらの遂行に必要な範囲で知識が与えられる。この主張は、フェヌロンの『女子教育論』(1687)に代表される良妻賢母教育の潮流に位置付けられる。 しかしロランは、自らの女子教育論の新しさが、男子校であるコレージュの生徒指導と学校運営について論ずる内容を、女子対象の学校の教師へも提示する点にあると明確に主張していた 。つまり、パリ大学のコレージュが目指す理想的な教育の内容と方法を、当時女子が学んだ初等レベルの〈小さな学校〉や中等レベルの修道院寄宿学校へも広めようとした新しさである。 ロランの主張は、フェヌロンには無かった発想を有しており、貴族もブルジョワも民衆も合わせた全階層の女子へ学校教育の機会を与えることを目指した内容であった。これはすべての人間を対象とする共通の公教育という構想へもつながりえたのではないかと考えられる。このような議論の存在は、18世紀から19世紀へかけてのフランス市民教育論の形成を探る上で大いに注目に値しよう。
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Strategy for Future Research Activity |
本年度は、研究計画を当初よりも1年延長して、シャルル・ロランによる教育論の内容とその1世紀にわたる受容について、フランスにおける〈市民教育論〉の形成という観点から検討する作業をまとめる。並行して、18世紀および19世紀の教育論も同様の観点から検討する作業も進め、最終的に二つの作業の成果を総合して、本研究の考察をまとめていく。 18世紀の著名な教育論としては、フランス革命期のコンドルセの2著作から、学校制度だけではなく社会生活全体を通じた〈市民〉の育成が、当時の政治や文化状況の歴史的理解と、宗教と信仰に関する原理的省察も踏まえて、いかに論じられていたかを検討する。①『公教育に関する五つの覚書』(1791)、②『人間精神進歩の歴史(人間精神の進歩に関する歴史的総覧の概略)』(1794)。 19世紀の女性論者による著作としては、以下に挙げるカンパン夫人の2作品(①・②)とギゾー夫人の3作品(③~⑤)を解読し、女子生徒の学校および家庭での教育や、子どもや特に女子にふさわしい道徳などが論じられた中から、〈市民〉の育成に関連する内容を検討する。①『少女二人の友情の手紙』(1811)、②『教育論』全2巻(1824)、③短編小説集『子どもたち』全2巻(1812)、④小説『ラウルとヴィクトール―小学生たち―』全2巻(1821)、⑤評論『家庭教育について―教育をめぐる家族の手紙―』全2巻(1826)。
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Causes of Carryover |
本研究は当初、4年間で計画しており、その計画通りに各年の海外出張調査や学会発表を行って、概ね順調に作業を進めてきた。しかし最終年度には、老親の在宅介護と入退院の繰り返しへ対応せざるを得ない状況となり、これまでの研究成果をとりまとめるのに十分な時間を確保することが困難であった。この結果、研究期間の1年間延長を申請することとした。 次年度使用額は、研究成果の公開に関わる主に二つの用途に用いる計画である。第一に研究成果の報告書を紙媒体でも制作すること充て、第二に研究成果をWeb上で公開するためのホームページの制作費用に充てる。
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Research Products
(2 results)