2017 Fiscal Year Research-status Report
アクティブ・ラーニングによる思考力育成のための道徳カリキュラムの研究
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16K04747
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Research Institution | Rissho University |
Principal Investigator |
浅沼 茂 立正大学, 心理学部, 特任教授 (30184146)
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Project Period (FY) |
2016-01-27 – 2020-03-31
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Keywords | 子どものための哲学 / 国際バカロレア / 知識の理論 / 分析哲学 / 認識と信仰 / 道徳教育 / 志向性 / ハーバーマス |
Outline of Annual Research Achievements |
昨年度は、思考力を育てる道徳教育の理論と実践を探るために、日本とアメリカの理論的展開と実践の場面を探った。特に、ハワイ大学を中心に広がった、子どものための哲学p4Cは、哲学を知識として教えるのではなく、哲学を「実践」することの大切さを説いて実際に子どもたちの思考力の発達に優れた成果をあげていた。それは、大学の教師だけでなく、現場の実践家の授業を観察し、確認することで明確になった。それは、国際バカロロレアの授業と共通するものであり、具体例を通して、者の考え方の合理性を追求するというものであった。たとえば、天動説から地動説へのパラダイムシフトは、なぜ起こったのか、そこには、見えるものがそう見えるということではなく、そう見えるのはなぜかという疑問をもつことが重要であるという。この疑問は、人々が持つ仮説が重要な作用をなしていること、そしてそれは、教えられるものではなく、一人一人の反省に自己の持つ仮説に「気づく」というステップがあることが示された。そのための発問の工夫の重要性が示された。たとえば、「知識の理論」では、「知ることと、信ずることについて」信ずることなしに知ることは可能であるか」という第1の問いが提示される。この問いは、分析哲学のムーアのように難しくいうことも可能である。それは、たとえば次のような文章を可能にできるかという問いである。「外では雨が降っている。出も私は信じない」という文章は、文法的に間違いはない。つまり、認識することと信じることは、別物ということを意味している。他方、第2の問い、「知ることなしに信ずることは可能であるか」は、どうであろうか、それも可能であるが、認識が信ずることを支えていることは、容易に塑像がつく。神の存在は、「神」という言葉と意味を知らなければ信じようがない。以上のように、日常的な用語を持って、哲学の実践は可能である。、
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
本研究は、これまでの研究成果を生かしつつ、新しい知見に基づいて新奇な実践を開拓しつつある。すでに、国際バカロレアの「知識の理論」においては、単に形式論理学を知識として教えるのではなく、その論理学を実際に駆使して現実の問題にどのように迫ることができるのかを道徳の授業において探ってきた。例えば、芸術における「美」を言葉で説明するという課題は、知識として美を説明することでは、何ら言葉が出てこない。しかし、たとえば、それを歌舞伎という題材に置き換えて説明するという課題になると、具体的な美の材料が必要になる。その奇抜なメイクが、象徴する意味は何か、オーバーな行動の動作となぜ、その誇張がなされるのか、その一つ一つの動作の意味の説明が必要になる。そして、物語の美しさにある道徳的感情と価値葛藤の本質が具体的な人間の営みにおいて明らかになる。このように、抽象的な言辞によってしか語られなかったなかった「美」が、具体的な行動や事象を通して初めて理解されるということが、明らかになった。このことは、現象学でいうところの「志向性」という概念にも関係するとろでもある。つまり、「美」が美であるのは、美という概念があるからではなく、その行為や事物に付随するものであるからであって、裏返すと美は独立して存在するのではなく、そのものにとりついている個々人の感情や思いがなくては成り立たないものなのである。ある茶碗を美しいと感じるのは、その茶碗自体にある価値なのではなく、その茶碗にとりついた主体の志向性が存在するからなのである。「受け手」にそのような志向性がない限り、このような「美」的価値は生まれない。国際バカロレアの「知識の理論」は、このような哲学的な議論を授業の中で実践していた。それは、同じようにハワイ大学の「子どもための哲学」の授業においても実践されていたものなのであった。これらの実践を総合した書を表した。、
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Strategy for Future Research Activity |
今後の研究は、昨年度末に刊行された「思考力を育む道徳教育の理論と実践」(黎明書房刊)を基にさらに深く実践の可能性について追究する。本研究は、米国のコールバーグの方法を超えるものとして、ロックウッドとドイツのハーバーマスの理論を基に日本において実践可能な形で実際の学校場面で実践したものである。本研究の特色は、小学校から高校生まで、実践的な道徳を実践できるという可能性を示したことにある。それは、日本や外国のなじみの深い昔話、例えば「アリとキリギリス」のような物語にとりついた志向性、つまり「キリギリスはずるい、なまけ者」というようなステレオタイプに対して自己反省を迫るような実践である。それは文科省的な徳目「勤勉」が「思いやり」に対して「価値葛藤」を起こすことから子どもは、初めて自分の価値観の意味に気づくのである。子どもは、ワークシートに書いた「死ね」という言葉の過酷さに気づいたのである。そして、ワークシートがすり切れるまで、自分の言葉の激しさを反省し、消しゴムで消しながら自分の書いた言葉の意味を振り返って見るのである。このような反省的思考を子ども自身に実践させるのは、新学習指導要領が総則の初めで強調する「主体的で、対話的で深い学び」を実践するものであり、それは、道徳教育において強調されていることなのである。今後の研究においては、この指導要領に即して、さらにどのような実践が可能であるか、外国にも範をとり、探究を進めたい。
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Causes of Carryover |
当該年度では、調査旅費等に多くの支出があった。また、本務の都合上、さらなる調査を3月期に行わねばならず、その予算の処理を次年度に回さねばならなくなった。したがって、予算の使用は、次年度において処理されることになっている。
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Research Products
(1 results)