2006 Fiscal Year Annual Research Report
日本統治の歴史をもつ中国・青島歴史街区の住み方に関する研究
Project/Area Number |
17404017
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Research Institution | Nippon Institute of Technology |
Principal Investigator |
伊藤 庸一 日本工業大学, 工学部, 教授 (10049710)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
岡田 知子 西日本工業大学, 工学部, 教授 (30258503)
伴丈 正志 長崎総合科学大学, 工学部, 助教授 (60218675)
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Keywords | 中国・青島 / ドイツ租界 / 日本統治 / 中庭型街区 / 格子状街区 / 歴史景観 / 都市開発 / 保全活用 |
Research Abstract |
中国山東省青島市の旧市街は、1897年にドイツ軍が進駐、1914年までドイツ租界地としてドイツによる都市計画が実施され、1914-1922、1937-1945の日本の統治を経て、現在に至っている。これまでの調査や文献から、ドイツ租界期の街区構成や歴史建築がいまもよく残されている。しかし、近年の急速な都市発展、および北京オリンピックに伴う開発が急ピッチで進んでおり、歴史都市の保全が危ぶまれている。本研究では、中国・青島旧市街の現況と居住している人々の住み方を明らかにし、日本統治の歴史をもつ歴史街区を保全活用した居住地整備計画について提言することを目的としていて、本年度は、旧市街の現地調査および歴史地図を用いて旧市街の都市形成を考察するとともに、中国人街の街区構成ならびに外観構成の特徴を抽出し、06年度日本建築学会関東大会に報告した。これらの成果は、現地で共同研究を進めている中国・青島理工大学と交換をした。成果の要点は、(1)1898年地図にはすでに都市計画が図示されているが、桟橋から北に延びる中山路の西側は未開拓である、中国人街の一部の開発が見られる、(2)1905年地図では中山路西側地区の計画が修正されている、青島湾に面する街区の開発、中山路沿い、中国人街の開発が進んでいる、(3)ドイツ撤退後の1918年地図を見ると一部に修正があるが基本的には1905年の都市計画が維持されている、(4)日本統治時代の1938年地図の旧市街は一部に修正があるが1918年=1905年の都市計画が維持されている、旧市街周辺への都市拡大がすすんでいるが、街区構成は1905年と異なる、(5)中国人街はおよそ50mの街区を単位とし、1階店舗、2階住居を基本とした中庭型集合住宅である、(6)店舗は平均間口6mでならび、集合住宅への入口は中庭から階段、回廊を経てアクセスする、(7)中庭への出入口はアーチ型、門型があり、2階住居の窓にもアーチ型、門型が見られ、ドイツ風デザインである軒飾りに特徴がある、などである。
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Research Products
(1 results)