2006 Fiscal Year Annual Research Report
1930年代サイクロトロン開発とロックフェラー財団の援助目的に関する実証的研究
Project/Area Number |
17500684
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Research Institution | Takushoku University |
Principal Investigator |
日野川 静枝 拓殖大学, 商学部, 教授 (90134832)
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Keywords | ニールス・ボーア / サイクロトロン / ロックフェラー財団 / 1930年代コペンハーゲン |
Research Abstract |
1930年代コペンハーゲンのサイクロトロン開発史 第1部:ロックフェラー財団の資金援助との関係を中心として ボーアのサイクロトロン開発は、全面的にロックフェラー財団の財政援助を受けてなされた。それゆえに、使用目的がロックフェラー財団の研究政策に合致するように、明確に限定された。特に、コペンハーゲンにおいては、それまでのフォン・ヘヴェシー(von Hevesy)、クロー(Krogh)などの研究とボーアの研究を協同させて、「生物学の諸問題への物理学的かつ生物学的技能(techniques)の適用」が追及されることになった。1935年4月17日のロックフェラー財団執行委員会での決定となる。1935年7月1日から1940年6月30日までの5年間、合計54,000ドルが計上された。その際に、必要な装置の建設費用として15,000ドルがドル支払いの可能な額とされていた。この時点では、1MV生成の高電圧装置の建設費用はCarlsberg財団からの支援金でまかなわれ、ロックフェラー財団の援助金は第2のタイプのgeneratorの設置が考えられていた。それは、サイクロトロンを想定していた。1936年1月の段階では、ドイツ人亡命科学者von Hippel(J.Franckの娘婿)が、その高電圧装置建設の責任者となっていた。しかし、実際には、ロックフェラー財団からの援助金15,000ドルは、高電圧装置の製作を担当したドイツのドレスデンの企業Koch and Sterzelへの支払いに充当された。その理由のひとつが、デンマークのお金を国外に持ち出せないことにあった。1937年2月には、ボーアは再度ロックフェラー財団に、サイクロトロン建設の援助金を求めて直訴した。その結果、ロックフェラー財団はボーアに対して、「純粋原子物理学における援助をおこなう、世界中で1つの例外的場所」としたうえで、サイクロトロン建設のための援助金を決定した。1937年3月19日の決定は、期間が1937年9月1日から1939年8月31日までの2年間で、サイクロトロンの設計、開発、そして試験を完了するための資金として、12,500ドルの援助を内容としていた。 第2部:サイクロトロン建設の技術的問題を中心に 1936年、ボーアはサイクロトロン用の電磁石を、デンマークの電気技術を進める基盤となっている企業、すなわち電気機器製造会社(electrical manufacturing company) Thomas B.Thrige社から贈与された。同社は、電力の無償供与も約束していた。このサイクロトロンの建設責任者となったのは、ボーアと一緒に研究していた実験物理学者のJ.C.Jacobsenである。特に重要な構成技術、大出力高周波発振技術に関しては、研究所の工作室が重要な役割を果たした。また、1937年の建設開始から1941年のJacobsenの論文発表までに、何回かの設計変更があったと考えられる。インダクションコイルを使用する発振回路から、2個のディーにそれぞれ入力ステムを接続する方法、そして最後は1/4波長共鳴線方式を採用する回路まで、3段階の発展を跡づける事ができると考えられる(詳細は要検討)。それでも、サイクロトロン建設の専門家を必要として、BerkeleyのローレンスのもとからL.Jackson Laslettの派遣を、ロックフェラー財団の援助で実現した。
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Research Products
(1 results)