Research Abstract |
1.女性解放論の範囲内でも,アウグスト・ベーベルの女性解放論との比較に関しては,USAのLopesとRuthの研究によって,従来の理解と異なる新発見があった.彼らは,ツェトキーンが,ベーベルが退けた労働者階級の女性の家事的なもの(the domestic),特に母としてのこと(the maternal)を,ベーベルより重んじたと指摘している.SPDの1860年代の「男性フェミニスト」ミュラーと,新しく登場したベーベルを両極に置いて,ツエトキーンは,年代的にはベーベルの次に来るものではあるが,理論的にはミュラーとベーベルの融合であるとしている点は従来見られない見解であった. 2.クラーラ・ツェトキーンの政治生活におけるローザ・ルクセンブルクとの比較を試みたが,特に1914年第1次世界大戦の勃発から,ロシア革命,ドイツ革命を経てローザが虐殺される1919年において,運動の中での女性の位置に関するローザの考えに関する変化や,ローザのロシア革命論をめぐるクラーラの批判的見解の相違が注目される. 3.晩年の活動において,KPDとKIのなかでのクラーラ・ツェトキーンの位置を明らかにするという目的は十分に達成されなかった.KPDのなかで主流派と多くの点で意見を異にしながら,終身クラーラガ議員であり続けた理由や,KIにおいてクラーラのスターリンへの批判がどの程度のものであったかを明らかにすることは今後の課題として残された. 4.最終年度の本年度は,クラーラ・ツェトキーン没後75年と重なったので,それを意識した啓発活動(啓発的論評を書き,講演も行った)をしたが,学術的場ではないので次頁リストから省いた. 5.これら,2009年1月末までにおこなった研究を昭和女子大学女性文化研究所WORKING PAPER No.31としてまとめた.
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