2007 Fiscal Year Annual Research Report
中世武士団安芸小早川領域における石塔の基礎的研究-宝篋印塔・五輪塔を中心に-
Project/Area Number |
17520448
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Research Institution | Senshu University |
Principal Investigator |
舘鼻 誠 Senshu University, 文学部, 兼任講師 (00384678)
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Keywords | 中世史 / 石塔 / 宝筐印塔 / 五輪塔 / 墓 / 武士団 / 小早川 / 日本史 |
Research Abstract |
本研究は、安芸国の武士団小早川氏の旧領域内に残存する石塔(宝篋印塔・五輪塔)の所在と個数確認、計測作業などを通して、当該地域の石塔編年を作成し、中世武士団の特質や歴史景観の復元を試みるものである。この作業のため9月7日〜14目、および平成20年3月29日〜31日にかけて広島県竹原市、三原市、東広島市、尾道市、呉市、大崎上島町域において石塔調査を実施し、宝筐印塔30基(相輪18・笠30・塔身20・基礎27)、五輪塔95基(空風輪47・火輪95・水輪88・地輪53)、一石五輪塔138基を確認し計測を実施した。また比較検討のため広島県廿日市市洞雲寺、世羅郡世羅町域においても石塔調査を実施し、宝筐印塔の地域性について知見を得た。なかでも竹原市仁賀町大谷の山中において、宝筐印塔2基(うち1基は南北朝期)・五輪塔9基を確認した意義は大きい。一帯は「ドウコウボウ」という寺跡伝承地に隣接し、石塔もこの寺に関わるものと推察される。「ドウコウボウ」の由来や規模は不明だが、石塔の年代から寺は14世紀から16世紀にかけて存続し、伝承地の一角にある平壇(休耕田)が跡地に比定される。また小早川一族が建てた宝筐印塔とほぼ同寸の基礎幅36.8センチの宝筐印塔が存在することから、「ドウコウボウ」は小早川一族か、同等クラスのものによって外護された寺であったと推察される。近世の石塔がほとんど存在しないことも、小早川氏がこの地を去ったあと外護者をなくして衰退したからであろう。石塔が残る大谷地区はいまや限界集落となったが、中世は山間部から湊のある安芸津に通じる道沿いに位置し寺もあった。そのことを石塔を手かがりに解明できたことは、当該地域の歴史を考える上で大きな成果であった。なおこの成果は、2008年4月9日の『中国新聞』朝刊において「幻の寺の証し 石塔発見」という記事で報道された。このほか鎌倉末から南北朝期とみられる五輪塔を安芸津と大崎上島町において各1基確認したことも付記しておく。
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