2005 Fiscal Year Annual Research Report
鎌倉幕府・鎮西探題が大土木工事によって構築した城郭都市博多の都市の復原の研究
Project/Area Number |
17520458
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | Nakamura Gakuen College |
Principal Investigator |
佐藤 鉄太郎 中村学園大学, 人間発達学部, 教授 (10235369)
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Keywords | 鎮西探題 / 菊池武時 / 櫛田浜口 / 犬射馬場 / 奥堂屋敷 / 周防五郎政国 / 安富左近将監貞泰 / 鎮西探題侍所 |
Research Abstract |
鎌倉幕府・鎮西探題は蒙古襲来後、博多湾岸に20キロメートルに及ぶ石築地を構築するとともに、博多の北側、南側、東側に堀を掘り、博多を城郭都市として構築した。また、鎮西探題は館を城郭構えの館として構築した。 平成17年度は鎮西探題について、(1)鎮西探題は博多のどこに所在していたか、(2)鎮西探題の敷地はどのようになっていたか、(3)鎮西探題はどのような構造であり、鎮西探題の城郭構えはどのような構造であったかを明らかにした。 (1)について、鎮西探題は現存している櫛田神社の東側に、櫛田神社と隣接して存在していた。櫛田神社の北側には鎮西探題北条氏の菩提寺大乗寺があり、櫛田神社と大乗寺の間に菊池武時が鎮西探題に攻め入った櫛田浜口があり、大乗寺の東側には東西2町半に及ぶ博多を代表する商人である奥堂氏の奥堂屋敷があり、櫛田神杜の東側と奥堂屋敷の南側に犬射馬場があり、その犬射馬場を挟んで奥堂屋敷と向かい合う位置に鎮西探題が存在したことを明らかにした。鎮西探題、櫛田神社、櫛田浜口、大乗寺、犬射馬場の位置関係を初めて明らかにした。 (2)について、鎮西探題の敷地は櫛田神杜の東側に犬射馬場を挟んで東西2町半に及ぶ奥堂屋敷に向かい合って存在していたことから、鎮西探題の館の東西の敷地は2町半であり、南北の範囲も地形から2町半である。つまり、鎮西探題の敷地は東西、南北それぞれ2町半の正方形であったことを明らかにした。 (3)について、鎮西探題の大手・正門は北門であり、北門脇には鎮西探題北条英時の代官・執事である周防五郎政国の居宅があり、同じく北側に安富左近将監貞泰の住宅があったことを明らかにした。そして、これらの人々は鎮西探題の被官・御内人であることから、館の正面の北側に鎮西探題の被官・御内人が配置されていたことを明らかにした。更にその後ろに御奉行所、侍所等の鎮西探題の施設が配置されていたことを明らかにした。 鎮西探題の館の東西、南北それぞれ2町半の正方形の敷地は、敷地の西、南、東側の外側に面した幅半町の部分は中心部に対して一段低くなった地形となっており、この部分は北側部分と同様に鎮西探題の被官・御内人の居宅部分であったことを想定させ、また、これらの部分と、正門がある北側の鎮西探題の被官・御内人が配置されていた半町部分とその後ろの施設がある半町部分の合わせて1町部分とは館の外郭を構成し、その内側の鎮西探題北条氏の主殿、寝殿等があった私邸部分が内郭を構成している城郭構えの館であったことを明らかにした。 (4)その他、博多市中の検断権について、佐藤進一氏は著名な「鎌倉幕府訴訟制度の研究」で鎮西探題が管掌していたことを否定され、筑前国守護が管掌していたとされていたが、博多市中の検断権は筑前国守護ではなく、鎮西探題が管掌していたことを初めて検証し、明らかにした。
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Research Products
(2 results)