2007 Fiscal Year Annual Research Report
18世紀における清,ロシア,ジューン=ガル相互関係史の研究
Project/Area Number |
17520465
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Research Institution | Ibaraki University |
Principal Investigator |
澁谷 浩一 Ibaraki University, 人文学部, 准教授 (60261731)
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Keywords | 東洋史 / 中央ユーラシア史 / 清 / ジューン=ガル / ロシア |
Research Abstract |
今年度は前2年間の研究の流れを受け,1720年代半ばの清とジューン=ガルの関係、とりわけ使節の交換を通じてなされた国境画定を含む講和交渉の解明に力点を置いて研究を進めた。この時期は,露清間でキャフタ条約が締結される直前にあたるが,従来の清とジューン=ガルの関係を扱った研究では,このような点は考慮されず,なおかつこの時の講和交渉が完全な合意には至らなかったために,十分に検討されることはなかった。今年度は夏期に北京の中国第一歴史〓案館において,清側関連史料(「雍正朝満文〓批奏摺」及び「軍機処満文録副奏摺」所収資料など)の収集を行ない,いくつかの貴重な新出史料を発見,これらに基づいて研究を進めた結果以下の点が明らかになった。 当時の清朝はモンゴル北境でのロシアとの国境画定交渉の開始をにらみながら,康煕朝末期以来のジューン=ガルとの講和交渉にも同時に力を入れていた。雍正帝は,トルファンの割譲などの譲歩条件をジューン=ガルのツェワン=ラブタンに示し,ロシアとの国境画定前に,ジューン=ガルと国境画定を行なうべく,ぎりぎりまで努力を行なった。結果的にウリャンハイの帰属をめぐる両者の主張は折り合わず,ロシア使節団の到着の知らせにより交渉は時間切れの形となり,清朝はロシアとの国境画定を優先することになった。以上の新知見は現在執筆中の論文に盛り込まれる予定である。 3年間の研究によって,従来,露清関係,清・ジューン=ガル関係と別々に論じられがちなこの時期の三者の関係が極めて密接に連動して動いていたことを明らかにできたと考える。それは,ともすれば18世紀半ばに清に滅ぼされて消滅するジューン=ガルの存在を軽視しがちな従来の歴史観を覆す事に繋がる。今後は,今回史料状況により踏み込めなかった,キャフタ条約締結後の三者の関係を検討してゆくことが課題となろう。
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Research Products
(1 results)