2006 Fiscal Year Annual Research Report
オリンピック・シティーオリンピックを契機とした都市改造の分析
Project/Area Number |
17656200
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
片木 篤 名古屋大学, 環境学研究科, 教授 (70204419)
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Keywords | オリンピック / 都市改造 / 競技場 / オリンピック村 / メルボルン / シドニー |
Research Abstract |
本研究は、オリンピックを契機として開催都市がどのように改造されたかを、1)都市基盤(鉄道、地下鉄、高速道路、空港等)2)各種スポーツ施設(屋外競技場、屋内体育館等)・公園3)選手村・関連施設(宿泊・メディア施設等)の3つの配置及びそれぞれの施設デザインを分析することにより、明らかにしようとするものである。 本年度は、当初計画を変更し、オーストラリアの2事例、メルボルン(第16回、1956年)とシドニー(第27回、2000年)を取り上げ、9月16日-23日、現地踏査調査と資料収集を行った。オリンピクが同一国で複数回開催されたのは、第2次世界大戦後に限ると、アメリカ、オーストラリアしかなく、事前の予備調査で、オーストラリアの2事例の方が、時代背景・都市文脈の違いによる都市改造の違いがより鮮明に浮かび上がる可能性があると判断したからである。 メルボルンでは、1929年にはメルボルン全域開発計画が策定され、そこで都市部に放射状に流れ込む河川沿いに緑地を設け、かつそれらを結ぶ環状パークウェイが計画されていた。戦後1944年に策定された公園システムもそれを下敷きにしており、オリンピック施設もまた、その公園系統に沿って配置された。メインスタジウムを初めとする多くの施設は、オリンピック・パーク内に集中配置されたが、一部競技にはメルボルン国際博覧会(1880年)会場等も用いられた。またハイデルベルグに建設されたオリンピック村は、イギリスの田園都市の系譜に連なるものである。シドニーでは、西郊の入江に面した広大な群用地の一部がオリンピック施設及びオリンピック村の敷地に当てられ、そこにいたる鉄道・鉄道駅を含め、全てが新たに建設された。両者とも、大都市圏における公園系統の計画に則り、かつ公園全体のランドスケープデザインがなされている点で評価されるべきものであり、その観点からより詳細な分析を進めている。
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