2017 Fiscal Year Annual Research Report
What does it mean for modern Jews to keep Jewish religious law?
Project/Area Number |
17H06665
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Research Institution | Tokyo University of Foreign Studies |
Principal Investigator |
丸山 空大 東京外国語大学, 世界言語社会教育センター, 特任講師 (90807827)
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Project Period (FY) |
2017-08-25 – 2019-03-31
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Keywords | ユダヤ教 / 宗教法 / ローゼンツヴァイク / ブロイアー / ヘッシェル |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、近代に生きる人間にとって宗教法を守ることは何を意味するのかという宗教学的問題を明らかにするために、20世紀のユダヤ人思想家である、М・ブーバー、F・ローゼンツヴァイク、I・ブロイアー、A・ヘッシェルの律法理解を比較し、分析することを目的として開始された。平成29年度は研究計画に従い、フランツ・ローゼンツヴァイクの律法理解の変遷の分析と、イザーク・ブロイアーの律法理解の解明を中心に研究を進め、それぞれ論文「フランツ・ローゼンツヴァイクとユダヤの律法」(『東京外国語大学論集』95号 81 - 104頁、2017年12月31日)および、学会発表「I・ブロイアーとS・R・ヒルシュ―律法の遵守をめぐって―」(日本宗教学会 2017年9月15日)においてその成果を発表した。また、ヘッシェルの律法理解についても研究にとりかかることができ、その成果を学会発表「現代ユダヤ思想における律法 ローゼンツヴァイクとヘシェル」(京都ユダヤ思想学会創立10周年記念・東京大会 2017年12月2日)で発表した。これらの分析および研究から、ローゼンツヴァイクとヘッシェルの律法理解が、よく似たものであることが分かった。また、律法の意義を宗教哲学的に論じ、そこから同時代の多数派の実践を批判したという点において、意外にもブーバーの立論とも近いものであることが分かった。また、研究を進める過程で、近代ユダヤ人にとっての律法の意味を総体的に理解するためには、個別の思想家の律法理解と、共同体にとっての律法の意味の関係を考察しなければならないことがわかった。この問題について、「近代ドイツ・ユダヤ人の思想から宗教法の現代的意義を考える」(東京外国語大学海外事情研究所2017年度第2回所員研究会、2017年10月04日)において予備的な考察を行った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
平成29年度の研究計画では、フランツ・ローゼンツヴァイクの律法理解の変遷を分析すること、そして、イザーク・ブロイアーの律法理解の特徴を明らかにすることを目標としていた。前者の課題については、順調に研究が進み、その成果を論文にして公表した。また、後者については、フランクフルトではじめて当地のユダヤ人共同体(改革派が多く存在した)から袂を分かち、独自に分離正統派の共同体を組織したブロイアーの祖父、ザムゾン・ラファエル・ヒルシュの律法理解とブロイアーの律法理解との比較を行った。ヒルシュは、律法の遵守と人間の精神の自由を同時に実現することは可能であり、様々な現代的価値を知った後でもなおユダヤ人として伝統に則して生きることは可能であるし有意義であると説いた。二世代下のブロイアーにとって、伝統的価値とヨーロッパ的価値の統合が簡単に実現されるとは考えられなかった。彼が属した分離派の共同体においてすら、律法の実践は自己目的化し道徳性の実現からはかけ離れた状態であったし、宗教的な価値ばかりか啓蒙主義的な価値もまた、世界大戦を通して説得力を失っていたからだ。ブロイアーは、ヒルシュが説いた伝統の堅持を基本とするユダヤ教と西洋近代文明の両立の理想を、律法に即した伝統的生と現実的生の統合の理想に読み替え、彼の共同体の成員も含めた全てのユダヤ人――ブロイアーによれば、彼らは皆、個人主義と相対主義の中で生き方を見失っている――の課題としたのだった。このように、ドイツの正統派の中で、伝統と西洋近代社会に対する考え方が世代によって異なることを明らかにできた。一方で、ブロイアーの見解がどの程度独特なものであるのか解明するために、同時代のドイツのほかの正統派の見解を比較するという新たな課題も生じた。
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Strategy for Future Research Activity |
ローゼンツヴァイクやブロイアー以降の世代のユダヤ人が律法についてどのように考えるか知るために、アブラハム・ヘッシェルの思想を分析する。ヘッシェルの思想は日本でも森泉弘次の精力的な研究を通してその基本的な概要については紹介されている。彼は自身の哲学的、現代的な問題意識から、独自の仕方でユダヤ教の伝統を見直し、現代における信仰の重要性を説いた。ヘッシェルはまた、律法についても詳しく論じた。例えば『人間を探し求める神』において彼は、ブロイアーを悩ませた「ユダヤの魂」と実践の関係という問題について、古典の再解釈に基づき明確な回答を示している。彼の見解は第二次世界大戦以降のユダヤ教の中でどのような意味を持ったのだろうか。また彼は、彼の前の世代を悩ませたこうした問いに対し、なぜこのほどまでに決然とした見解を示すことができたのだろうか。こうした問いを念頭に置きヘッシェルの著作を研究する。その際、戦後社会でも活躍したブーバーとの比較が手掛かりとなるだろう。ブーバーとローゼンツヴァイクとヘッシェルは、どの程度律法を実践すべきか、そしてどのように実践すべきかといった点では異なるが、律法の意味を理論的に検討し、そうした理論から同時代の主流派の律法の実践を厳しく批判したという点では共通していた。彼らの批判に対する、主流派の反応――厳しい再批判を行うこともあれば、完全に無視してしまうこともあった――を分析することで、現代ユダヤ人が律法についてどのように考えているのかを、より総合的に解明していく。主流派からの批判としては、ローゼンツヴァイクに対するヤーコプ・ローゼンハイムやヨーゼフ・カルレバハの批判に注目したい。
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