2017 Fiscal Year Research-status Report
祭神別神社分布図による諸信仰伝播の過程および背景の研究
Project/Area Number |
17K02270
|
Research Institution | Kanazawa Institute of Technology |
Principal Investigator |
平泉 隆房 金沢工業大学, 基礎教育部, 教授 (20148357)
|
Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
|
Keywords | 白山信仰 / 白山神社 / 祭神 / 伊弉冉尊 / 菊理媛 / 山岳信仰 |
Outline of Annual Research Achievements |
福井県・石川県・岐阜県における白山神社の分布を、祭神の面から考察した。これらの分布には顕著な傾向がみられた。つまり、福井県に300社以上ある白山神社の祭神はほとんどが伊弉冉尊であって、例外はわずか10数社にしかみられなかった。伊弉冉尊と伊弉諾尊とを共に祀っている例はかなりある。その一方で、石川県ではやはり200社以上の白山神社のかなりな部分が、菊理媛を祭神としている。そして岐阜県では、500社近い白山神社また白山信仰関連神社の祭神は、多くが菊理媛・伊弉諾尊・伊弉冉尊の三神を祀っている。このことは、同じ白山信仰といっても、越前・加賀・美濃側のそれに明らかな差違があることを示すものである。 私(平泉)の研究によれば、白山の主祭神は、平安期以来、伊弉冉(イザナミ)尊であって、或は単に白山姫神とし、白山妙理大権現と称してきたのであって、菊理媛を白山姫神に充てるのは室町期に入ってからである(諸国一宮記)。加賀一宮である白山比咩神社の社名からも容易に類推されるように、本来、祭神が白山姫神であったものを、無理に菊理媛に比定したのである。とすると、ここに、祭神(菊理媛)だけから、単純に加賀からの勧請などとは言えず、神社明細帳の記載として信じられてきたものが、一気に修正されなければならないこととなる。白山大神などとしているものが、意外にも、本来の姿に近い可能性もある。それを菊理媛とするようになるのは明治初年の神社明細帳に登録した際で、加賀の国幣中社白山比咩神社よりの勧請とすれば聞こえが良い、との判断があったことが容易に推定できるのである。ともあれ、祭神別に白山神社検証することによって、白山信仰の伝播に関する研究は一段と深まったといえよう。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
この1年間で10神(柱)ほどの祭神ごとの神社分布図の作成をおえた。ただ、個々の検証作業が必要で、分布図の作成は比較的容易に進んでも、こちらの方に時間がかかることはこれまでも経験済みである。また、分布図を作成しても、個々の神社の創祀については史料の欠如や残存する伝承があまりに断片的なため、創建の時期や事情がほとんどわからない神社が圧倒的に多く、検証作業は遅れ気味である。 白山信仰の主祭神が女神であることは自明のこととされ、そのこと自身を扱った論考はほとんどない。加賀国の式内社・白山比咩神社の名称がすでに女神であり、そのようにみてよいであろう。しかし、それだけでは不十分と考えた人々がいたのであろうか、同社(白山比咩神社)の祭神を菊理媛とする見方が出現し全国に広まって、現在では白山神菊理媛説はなんの疑いもなく受け入れられている。ところが、その初見は意外と新しく、室町期に入ってからで、どう早く見ても南北朝期に遡るくらいである。その点を検証し、大江匡房の著述とされ現在は散逸している「扶桑明月集」にあたった。『二十二社註式』所引の「扶桑明月集」には確かに、日吉社の客宮の神を菊理媛としているが、この同じ部分が『渓嵐拾葉集』に引かれた際には白山妙理権現となっていて、明らかに書き換えのあることを指摘した。つまり、祭神を論じる場合であっても、白山信仰の場合には慎重な判断が求められ、菊理媛と伊弉冉尊との差違だけでは、不十分であることも論じた。 伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理媛(白山神)のほか、素戔嗚尊、大己貴(大国主)尊、天児屋根尊、木花咲耶媛尊、建御名方神、天照大神、天忍穂耳尊などの神々を祀る神社の分布図の作成を終えた。
|
Strategy for Future Research Activity |
伊奘諾(イザナギ)尊・伊弉冉(イザナミ)尊を主祭神或は相殿神とする神社には、多賀大社や伊弉諾神宮をはじめ白山信仰関連神社などがあって、国土創造の神々がどのように全国に分布しているかは興味深いものがある。従来の白山信仰研究からだけではうかがうことのできない、諸信仰を横断するような研究なり視点が必要と考えている。すでに、伊奘諾(イザナギ)尊・伊弉冉(イザナミ)尊を主祭神あるいは相殿神とする神社の全国的分布図の作成は終わっているので、それをどのように理解するかに務めねばならない。 石川県(加賀)は神明神社の数が、北陸の他県つまり福井県や富山県と比べて非常に少ない、という見方がある。そして、そのことから、北陸に広く浸透し蟠踞していた白山信仰と衝突したのであり、歴史的にも、白山信仰関係の社寺が江戸期には伊勢御師の現地介入を拒んでいたという説もある。確かに、神明神社だけの数をみると、福井県が約100社、富山県に至っては680社を数えるのにくらべて、石川県ではわずかに30社足らずであるからこの見解は妥当なようにみえる。しかし、相殿神として天照大神を配祀している神社を加えると、この数は一気に増加して、福井県を上回ることを突き止めた。それが、明治期の神社合併策などによって神明神社が整理・合併していく中から、たまたま呼称が消えたのかを考察する。
|
Causes of Carryover |
祭神あるいは相殿神として検出可能な神々を検索し、神社名にかかわらず、その結果を地図におとす作業は10神(柱)ほど作成した。とはいえ、今度はそれぞれ個々の神社の創祀る時期がいつ頃で、どのような経緯で勧請されたかを探る作業は非常に困難な部分がある。そもそも鎮座年代の目安すらわからない神社が大半であって、わずかに確定できそうな神社を探し出すことも時間との格闘である。このような状況から、次年度使用額が生じた。
|