2017 Fiscal Year Research-status Report
日米文化・芸術交流に果たした日本人留学生の役割に関する調査研究
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17K02312
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Research Institution | Shinshu University |
Principal Investigator |
小野 文子 信州大学, 学術研究院教育学系, 准教授 (10377616)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 日米交流 / チャールズ・ランマン / 森有礼 / 英語学習 / 岡倉天心 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究では、主に幕末期から明治時代中期(1860年代後半から1880年代)にアメリカに留学した日本人を研究対象としていることから、先行研究を頼りに、該当する期間に留学した日本人のリストを作成した。(石附実『近代日本の海外留学史』中公文庫、1992年等)。このリストからは、国家を挙げての留学政策を読み取ることができ、1865年の南北戦争終結直後から、国家として統一に向かうアメリカに学ぼうと、様々な人材をアメリカに送り込む日本の姿が見えてきた。日本では、1866 年に寛永の鎖国条例が解除され,日本人の海外渡航が可能になったことから、1860~70年だけでも、アメリカに学んだ留学生は280名近くにのぼる。今年度は、1865年にイギリスに密航し、その後アメリカに渡った初代駐米公使森有礼に着目し、彼の活動とその周辺について調査を行った。特に、森有礼が初代津田梅子、山川捨松、川村清雄、チャールズ・ランマンについての調査を行ったところ、様々な資料を得ることができた。森有礼の部下として働き、津田梅子の育ての親、そして川村清雄を半年間自宅に受け入れたランマンについては、多くの資料を発見し、成果を上げることができた。なかでも、アメリカのゲッティ財団に所蔵されているランマン関連資料には、日本との関わりが見えてくるものがあり、現在こうした資料のデータ整理、翻刻を進めている。 以上のような調査と同時に、日米関係の初期の状況を把握するため、日本における英語習得の背景についても調査した。ペリー来航以後、アメリカ、イギリスから英語習得の必要性が求められ、英語を話すことができる「役人」を育てることを急務とし、幕府は開港地横浜において、英語学校を開設した。その中の逸材の一人が、留学を経験することなく、晩年グローバリズムの中で日本文化について発信した岡倉天心であることが明らかとなった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
(理由) 研究計画にそって、おおむね順調に進展している。しかし、研究の進捗により、チャールズ・ランマンに関わる資料がゲッティ財団に多く所蔵されていることが分かったことから、調査地をアメリカ東海岸ではなく、西海岸に変更した。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は、研究計画に沿って調査、資料収集、整理、分析を行うが、特に、チャールズ・ランマン関連の資料を整理、翻刻し、分析を行うことに力を入れる。ランマンは、森有礼の部下として1870年代に日本人留学生の世話をし、また吉田清成の部下としても働いていたことが分かったことから、吉田清成の周辺事情についても調査を行う。ランマンの遺贈品の中に吉田清成が描いた絵画作品があったことを発見したことから、こうした視点からも日米の文化・芸術交流について調査を進める。
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Causes of Carryover |
海外から取り寄せる資料、文献の取り寄せに時間を要し、年度をまたがってしまったため、発注を次年度に繰り越すこととした。
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