2020 Fiscal Year Annual Research Report
Historical Research on the Zen Monk Painter Sesshu Toyo: Mainly on the Literal Data Concerned Literal Data Concerned
Project/Area Number |
17K03055
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Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
橋本 雄 北海道大学, 文学研究院, 教授 (50416559)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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Keywords | 雪舟等揚 / 五山文学 / 禅宗史 / 対外関係史 / 和・漢・梵 / 破墨山水 / 王維 / 遣明船 |
Outline of Annual Research Achievements |
「画聖」とも称され、小学校でも必ず習う臨済宗画僧の雪舟等楊は、有名な割に、その人生が謎に包まれている。従来の雪舟研究は、おもに美術史研究の側から進められてきており、雪舟関係史料(文献史料)の読解には、まだ検討の余地があり、そこから雪舟を等身大に捉えることができるのではないか。そこで本研究は、雪舟をまず文献史学の手法で検討し、かつ後世の評価を前提とせずに、彼を一人の入明僧として冷静に位置づけることを目指した。この間の成果のうち、もっとも重要と考えるのは、先行研究における国宝破墨山水図(東京国立博物館蔵)自賛の誤解を正した点である。これまでは、自賛の誤読により、雪舟が明の宮廷画家李在らに師事したと長らく信じられてきた。しかし、五山僧が親しんでいた三体詩などを参考に正確に再読すると、雪舟は自力で中国絵画を収集・学習したり、現地の様子をスケッチしたに過ぎないことが判明した。その自賛のなかで雪舟が主張したのは、破墨山水を得意とした王維の画法が、日本でも中国でも愚直に守り伝えられてきたこと、つまり自身が王維の継承者たることであった。 最終年度にあたる本年度は、雪舟等揚の足跡を一書にまとめる予定であったが、力不足でまだ完了していない。ただし、論文「雪舟の入明事情」により、雪舟がおそらく大内氏お抱えの唐物目利(めきき)として入明していたこと、その前提として大内氏の蔵にある中国絵画や唐物を比較的容易にみられていたであろうことが推察できた。また、雪舟とともに応仁度船で入明した医僧の呆夫良心、儒僧の桂庵玄樹、そして雪舟および彼らが搭乗した応仁度遣明船経営全体を主導した松雪軒全杲らとの人的関係などを剔抉することもできた。そして、論文「文化交流史から問い直す」では、より広く、当時(室町・戦国期)の宗教的観念(和漢はともに梵の表れであり等価である)との関係で、雪舟の水墨画を位置づけることに成功した。
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