2021 Fiscal Year Annual Research Report
Reexamination of the process of forming the Ritsuryo system focusing on the epoch-making nature of the Taiho Ritsuryo
Project/Area Number |
17K03063
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Research Institution | University of Yamanashi |
Principal Investigator |
大隅 清陽 山梨大学, 大学院総合研究部, 教授 (80252378)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2022-03-31
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Keywords | 律令制 / 比較史 / 東アジア / 大化改新 |
Outline of Annual Research Achievements |
本来の最終年度であった令和2年度に、研究課題全般のまとめとして、論文「「律令制」研究と「公民制」成立論」を執筆したが、掲載書の刊行が遅れ、論文作成作業が年度をまたぐ可能性が生じたため、研究期間の延長を申請した。 研究代表者は、「公民制」の成立を「狭義の律令制」の成立と同一視してきたこれまでの研究に代えて、代表者が提唱した「プレ律令制」論の文脈で理解することを提唱してきたが、同論文では、それをより具体的に裏付けることを試みている。 1束の稲が収穫される田の面積を1代とする代制が、田令第1条に規定される町段歩制に転換するのは、近年では大宝令の段階とされることが多い。令制前のミヤケ経営においては、その田地はミヤケの稲が投下されている田であり、代で表示されるその面積は、毎年の穫稲の総量から逆算されたと考えられる。また田部とはミヤケの稲を種稲・営料として支給されている人々で、その人数は、ミヤケで運用されている稲の量に比例していた。こうしたミヤケにおいては、「田地の支配」と「人の支配」を媒介する要として「稲の支配」が存在していたと思われるが、いわゆる後期評の段階で、評(郡)の正倉の形成が始まることは、それまで評内に散在していた部民制以来のミヤケが、この段階で、ようやく評(郡)家=コホリノミヤケに統合され始めたことを意味している。以上の見通しにより、「律令制」的な民衆支配の成立は天武朝末から飛鳥浄御原令施行に始まり、大宝律令の段階で成文法として体系化されることを主張した。 上記の論文の公刊は実質的に令和3年度初めであるが、同年度中に口頭報告2件の成果も得たほか、本研究課題を更に発展させた新規課題「律令制と公民制の形成過程から見た7世紀史の再構築」を申請し、令和4年度に課題番号22K00873として採択された。
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