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2019 Fiscal Year Research-status Report

幕末期長州藩における洋学の受容と展開-海外留学生の果たした役割を中心として-

Research Project

Project/Area Number 17K03069
Research InstitutionFukuoka University of Education

Principal Investigator

小川 亜弥子  福岡教育大学, 教育学部, 教授 (70274397)

Project Period (FY) 2017-04-01 – 2021-03-31
Keywords幕末洋学史 / 長州藩 / 海外留学生
Outline of Annual Research Achievements

3年間の研究計画の最終年度となる令和元年度は、慶応期(1865~1867)における長州藩士の海外留学と、彼らの帰国後の動向について解明するため、山口県文書館、萩博物館を中心に史料調査を実施した。
慶応元年(1861)4月、長州藩は、再びイギリスに留学生を密航させた。高杉晋作の宿志を継いだ南貞助・山崎小三郎・竹田庸次郞は、同年9月にロンドンに到着した。ロンドンで遠藤謹助・山尾庸三・野村弥吉と合流した3人は、日夜勉学に勤しむが、生活自体は困窮を極めた。こうした中で起きた小三郎の病死という事態は、長州藩の関係者に大きな衝撃を与えた。志だけでは果たせない留学の現実を知った藩政府は、桂小五郎が中心となって、直ぐさま留学生の学資調達に動いた。慶応3年9月、留学を終えて下関に帰着した貞助は、藩政府一同の出席のもとで留学報告会を行った 。庸次郞の動静については不詳である。
幕長戦争が終盤に差しかかった慶応2年11月、長州藩は、毛利幾之進(親直)・鈴尾五郎(福原芳山)・河瀬安四郎(真孝)の長崎での兵学修業の願いを容れ、それぞれの戦時の役職を解いて遊学を許可した。薩摩藩船で長崎に向かう途中、五代才助からイギリス留学を強く勧められた3人は、桂小五郎、広沢兵助らに斡旋を依頼する。小五郎や兵助らによる重臣説得や藩主敬親への言上が成功し、慶応3年3月1日、3人に36か月の「洋行」の辞令が下った。しかし、実際には、グラバーの協力により、3人は発令以前にイギリスを目指して長崎を出航していた。ロンドン滞在中の留学生の様子については、安四郎が小五郎や藩政府に宛てた書に詳しい。帰国後は、五郎と安四郎の二人は新政府に出仕し、近代日本の建設に優位な人材として活躍した。
本年度の史料調査の結果、慶応期のイギリス渡航計画遂行までの経緯と人的ネットワーク、ロンドンでの修学状況などを具体的に解明することができた。

Current Status of Research Progress
Current Status of Research Progress

2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.

Reason

年次計画に従い、おおむね順調に調査研究が進展している。研究3年目となる本年度の進捗については、次の2点の理由により研究計画全体の80%の達成度と位置づけた。
(1)慶応元年(1861)の4月の長州藩士によるイギリス密航の経緯と経過、ロンドンでの就学状況が解明できたこと。具体的には、①南貞助・山崎小三郎・竹田庸次郞のイギリス密航については、「文武御興隆」「御意控」「御小納戸日記」「御手当沙汰控」「維新風雲録」「柏村日記」「木戸孝允文書」などに収められている文書群を用いることで、史料的制約を克服できる目処が立ったこと、②これにより、3人の密航が実現するまでの経緯と、藩庁中枢部における支援の実態が解明できたこと、③帰国後、藩庁政府員全員出席の下で行われた留学報告会の模様が明らかになったことにより、ロンドンでの修学状況が解明できたことである。
(2)慶応3年2月の長州藩士によるイギリス留学の経緯と経過、ロンドンでの修学状況が解明できたこと。具体的には、毛利幾之進(親直)・鈴尾五郎(福原芳山)・河瀬安四郎(真孝)のイギリス留学については、「御参勤沙汰控」「諸沙汰控」「杉家所蔵文書」「木戸孝允文書」「楫取家文書」「柏村日記」「東行先生遺文」などに収められている文書群を用いることで、史料的制約を克服できる目処が立ったこと、②これにより、3人の留学までの経緯と経過、海外留学に関する藩政府の考え方などが明らかになったこと、③安四郎が桂小五郎や藩政府に宛てた書簡により、ロンドンでの修学状況が解明できたことである。
ただし、慶応3年12月初めに横浜を出港しイギリスを目指した河北義次郎・天野清三(渡辺萵藏)と、オランダを目指した飯田吉次郎(俊徳)に関する留学の実態と帰国後の動向については、解明するまでには至らなかった。これについては、研究延長の承認を受けた令和2年度に明らかにする予定である。

Strategy for Future Research Activity

研究延長の承認を受けた令和2年度においては、、慶応3年12月初めに横浜を出港しイギリスとオランダに留学した3人の人物に焦点を定める。具体的には、長州藩の藩政史料や関係史料の調査、資料・文献の収集を実施し、河北義次郎・天野清三(渡辺萵藏)・飯田吉次郎(俊徳)の留学の経緯と修学状況を明らかにする。更には、彼らの派遣に当たり、これを積極的に推進した桂小五郎と広沢兵助(眞臣)の動向について解明し、海外留学実現の背景にある人的ネットワークについても検討する。

Causes of Carryover

《理由》 令和元年度においては、慶応期(1865~1867)の長州藩士の海外留学のうち、慶応元年の南貞助・山崎小三郎・竹田庸次郞のイギリス密航留学と、慶応3年2月の毛利幾之進(親直)・鈴尾五郎(福原芳山)・河瀬安四郎(真孝)のイギリス留学に関する経緯と修学状況、帰国後の動向については、史料調査に基づく実証研究が可能となったものの、慶応3年12月初めに横浜を出港しイギリスとオランダに留学した河北義次郎・天野清三(渡辺萵藏)・飯田吉次郎(俊徳)については、史料の収集・整理・吟味・解釈までには至らなかった。このため、本研究課題の目的を達成するため、研究延長が必要となった。
《使用計画》 令和2年度については、令和元年度に実施できなかった残りの史料調査を進めるとともに、関係学会での情報収集や図書に購入などを行うこととし、未使用額はその経費に充てる。

  • Research Products

    (1 results)

All 2019

All Presentation (1 results)

  • [Presentation] 幕末期長州藩の洋学と海外留学生2019

    • Author(s)
      小川亜弥子
    • Organizer
      洋学史学会(函館大会)

URL: 

Published: 2021-01-27  

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