2020 Fiscal Year Annual Research Report
Acceptance and development of Western learning in the Choshu domain during the Bakumatsu era: Focusing on the role of Japanese overseas students
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17K03069
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Research Institution | Fukuoka University of Education |
Principal Investigator |
小川 亜弥子 福岡教育大学, 教育学部, 教授 (70274397)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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Keywords | 幕末洋学史 / 海外留学史 / 長州藩 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の最終年度となる令和2年度においては、、慶応期(1865~1867)における長州藩士の海外留学のうち、慶応3年(1867)の海外留学と、彼らの帰国後の動向について解明するため、関係資史料の整理・吟味・解釈を行った。 慶応3年に入ると、長州藩では海外留学の希望者が急増したため、藩政府はその対応に苦慮することとなった。同年1月23日に幕長戦争は解兵したものの、長州処分問題が未だ終結しない状況にあっては、藩士の長崎滞在そのものが薩摩藩の名義を借りなければ実現しなかったからである。同年7月22日、長崎で海外留学の機を窺う予備群の中から、河北義次郎にアメリカ留学の正式な辞令が下った。これは、義次郎の桂小五郎への再三にわたる働きかけが功を奏したものである。同日、天野清三郎(渡辺蒿蔵) と飯田吉次郎(俊徳) の2人にも留学が認められ、それぞれアメリカとフランスに派遣されることとなった。義次郎ら3人はいずれも松下村塾の出身者であった。この時点の長州藩においては、海外留学制度それ自体が整っていなかったことから、小五郎との間では、結果として、松下村塾出身者という人脈がものをいうことになったと推測できる。同年12月初めに横浜を出港した3人は、アメリカのボストンにしばらく滞在し、その後、義次郎と清三郎はロンドンを、吉次郎はオランダを目指した。この時期の海外留学生の在留期間は比較的長く、6人はいずれも、明治4年から同6年の間に帰国している。帰国後、彼らの多くは、工部省や外交官への就任など、万国に対峙する人材として、留学の成果を発揮した。 本年度の関係資史料の検討の結果、幕末再末期の慶応3年にイギリス留学とオランダ留学が実現した経緯、留学先での就学状況、彼らがテクノクラートとして近代日本建設の建設に果たした役割などを具体的に明らかにすることができた。
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