2021 Fiscal Year Research-status Report
Tamain and History: 'Local History' by Pre-modern Societies in the Ayeyarwady River Basin
Project/Area Number |
17K03150
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Research Institution | Aichi University |
Principal Investigator |
伊東 利勝 愛知大学, 公私立大学の部局等, 研究員 (60148228)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 年代記 / 縁起 / 城市タマイン / ナショナル・ヒストリー / 民族による政治 |
Outline of Annual Research Achievements |
地方文書(パラバイ)に残された城市タマインの収集を進め,こうした修史はニャウンヤン時代にはじまるシッターン(調書)の徴収に関連していることがわかった。並行して,前年に続き,ニャウンヤン時代から現代にかけて,それぞれの時期の主要人物が,同時代の年代記および20世紀後半の独立期以後に書かれた内外の歴史書での扱われ方を検討した結果,とりわけ後者については,ナショナル・ヒストリーを補強するためのものであることを確認した。 年代記等は,19世紀中期ミャンマーの支配者層(例えばミンドン王)にとって,代々どんな人物が国王として君臨したかということと,人間の周りに生起する出来事は無常であること,争いや怒りが無意味であることを示すためのものであったことが判明した。現代の一国史が国家や民族を主題化して,その独自性と発展史を記述するのとは対照的である。 王国時代の修史においても,実証性を重視するのは同様であったが,近代以降のように,民族をひとつの生命体のようにとらえ,その来歴の科学的記述を目指すということはなかった。近代以降の歴史学は,これを社会科学の範疇に入れ,分析や判断が「客観的」であり真理を追究しているとして,歴史を紡ぎ出す主体の政治性を糊塗しつつ,けっきょくは民族をひとつの政治勢力とみる「民族による政治」を正統化することに貢献していることが明らかになった。 各少数民族による修史も,近代以降は支配民族に対抗すべく,縁起や年代記の表題が民族名を冠したものに改変されたり,新しく作成されたりしてきた。1899年に出版されたシュエ・ノーの『モン年代記』や1931年のアシン・サンダー・マーラー・リンガーラによる『新ラカイン年代記』などは,少数民族が当時おかれていた「ビルマ人仏教徒」重視の政治状況を反映・対抗した作品であるということができる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
マイクロフィルムとして残されていた地方文書(パラバイ)について,修史に関わる文書のデータベース化に向けて,利用可能な画像のデジタル化をほぼ完了し,検索を容易にするため,ユニ・コードによる目録作成をおこなった。 ラカイン縁起については,これまで検討した12件の文書に加え,ミャンマー国タトン市のウー・ポーティ経蔵庫に保管されているカウィタラによる『ラカイン御戦記』なるタイトルの貝葉本を,今回,トロント大学によるMyanmar Manuscript Digital Libraryより入手できた。この奥付により従来この年代記のもとになったとされる『Do Waiの大年代記』が存在するかどうかを,現存テキストとの照合を通して確定することができるようになった。 また「モン」年代記については,そもそもモンは王国時代,タライン,タトン,モンサなどいくつかの呼称があり,モンをひとつの「民族」とする観念がなかったことが判明している。従って現在『モン年代記』というテキストの成立事情を,そのタイトルの命名方法とともに検討する必要が生じている。 王国時代ミャンマーで作成されたタマインの多くは,仏陀がその地に巡錫し,後代この地に城市が栄えるだろうと予言したことから始まる。このことは,当時のタマインが仏教の戒統や縁起という考え方を重視し,その世界観を示すためのものであって,現代のように地域やその文化の独自性を示すために書かれたものではないという仮説を得ることができた。 以上により,民族を主題とする歴史叙述は,植民地支配者の手によってはじめられ,これがナショナリストを生み出し,年代記や地方のタマインの内容が換骨奪胎されて,過去についての記憶が,国民国家の形成に貢献するよう意味づけられていく様が明らかになったが,ヤカイン,「モン」,ミャンマーのそれぞれについて具体的事例を提示するという作業が残されている。
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Strategy for Future Research Activity |
前々年度からの課題であった,現在地方都市となっているタウンドゥインヂー城市の縁起に関する,植民地化以前に成立したタマイン及びその異本と,その後に編纂・作成されたテキストを,現地調査によりできるだけ多く収集し,それぞれが領主の変遷史であり,戒統や縁起という考え方のもと,この世の無常を示すものであったか,それとも地方社会の独自性を示すものであったのかについて,その執筆動機とともに検討していく。 またラカイン年代記関係については,今回入手できた『ラカイン御戦記』について,その政治性を明らかにするため,カウィタラの作とされる他の貝葉本4本との校合をすすめ,『Do Waiの大年代記』なるものは存在しなかったことを確定する。そしてラカインで編まれた他の縁起(年代記)とも比較しつつ,これらそれぞれが成立するについて,仏教的統治のための手引書というような意図のもとに編纂されたものであるのか否かを解明し ていく。 さらに「モン」年代記については,とりわけ大英図書館に所蔵されている,19世紀前半に成立したアトゥワ(Athwa)僧正の手になるビルマ語による「ペグーのタライン史」について,これがテキスト化されるについて植民地官吏の関与に注意しつつ,とりわけなぜ「ペグーのタライン史」という名称になったのかを解明する。 以上により,前近代にエーヤーワディー流域地方で成立した年代記や縁起によって,後代の修史を照射することにより,これらが民族をアクターとするナショナル・ヒストリーに組み変えられ,地方史あるいはエスニック・グループの歴史として,改変し読みかえられていく過程を,それぞれタウンドゥインヂー,ラカイン,「モン」について明らかにし,これを成果として発表する。また縁起の作成・成立に関する地方文書のデータベースは,Web上での公開を目指す。
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Causes of Carryover |
コロナ禍やミャンマー国軍のクーデタもあって,モン年代記関係で,「ペグーのタライン史」の成立に関してイギリスの大英図書館所蔵文書の調査,およびミャンマー関係でタウンドゥインヂー城市縁起本関係資料の現地調査が不可能となり,予定していた旅費の執行ができなかった。 今後はこれら2国の現地調査を実施し,関連史料の収集・検討につとめ,あわせて年代記・地方史関係貝葉文書データベースのさらなる充実をはかる予定であるが,もし渡航がまたしても不可能な場合には,引き続き関係機関に原本のデジタル化を可能なかぎり依頼する。また地方文書の中から,当該地方の仏塔縁起や,18世紀から19世紀はじめにかけてミョウ(城市)やユワー(村)の首長から徴収されたシッターン(調書)に記されている当該地方の歴史のかかわる記述を取り出し,これと当時のタマインとの比較をおこない,年代記・縁起と歴史の間に連続ではなく,断絶があることを明らかにする。
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