2017 Fiscal Year Research-status Report
Multiple communication and political order in Late Medieval Germany
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17K03171
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
服部 良久 京都大学, 文学研究科, 名誉教授 (80122365)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | ドイツ / 中世後期 / コミュニケーション / 多元性 / 政治秩序 / 国王 / 諸侯 / ネットワーク |
Outline of Annual Research Achievements |
13世紀後半から14世紀のドイツ(神聖ローマ帝国)における都市、貴族、諸侯間の紛争と紛争仲裁、地域的な諸侯、都市の同盟関係のネットワーク形成を、ドイツ北西部(下ライン、ヴェストファーレン)、中部(ライン・フランケン)について考察した。これらの地域の政治的アクターの間の紛争(フェーデ)と第三者による仲介と交渉、仲裁(裁判)、和解、その後の友好同盟の比較的小さいネットが、絶えず変動しつつ幾重にも重なり、広域的な平和のための秩序を生み出していること、国王の影響力と関与は地域の政治構造により異なることを明らかにした。 中部ライン地方ではマインツ大司教、ライン宮中伯の対抗する2人の選挙侯の存在がこの地域の複雑な権力関係を生み、またフランクフルトを中心に国王宮廷の滞在頻度が高く、王権と地域の関係が密だった。ヴェストファーレンでは、ケルン大司教の覇権的地位は14世紀には低下し、下ラインを含めて多数の伯やブラバント大公、ミュンスター司教らの中規模領域権力が錯綜していた。その中で都市や諸侯、貴族間の同盟が形成され、またその分裂、紛争、再編を繰り返していた。国王のこの地域におけるプレゼンスは極めて弱く、王、その直属封臣である諸侯、陪審である在地貴族という封建関係は実質機能を失い、多様な政治的コミュニケーションによる可変的なネットワークが政治秩序の基盤をなすという中世後期帝国の特質がすでに明確に現れていることが確認された。従って、こうしたヴァリエーションをともなう広域的なコミュニケーション・ネットワークが帝国レベルに広がる契機とプロセスを明らかにすることが、次の課題となる。なお29年9月にはミュンヘン大学にてK・ゲーリヒ教授、ヴィーン大学ではPh・ビュク教授と研究課題について意見交換し、助言を得ることができた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
中部ライン地方ではマインツ大司教、ライン宮中伯の対抗する2人の選挙侯の存在がこの地域の複雑な権力関係を生み、またフランクフルトを中心に国王宮廷の滞在頻度が高く、王権と地域の関係が密だった。ヴェストファーレンでは、ケルン大司教の覇権的地位は14世紀には低下し、下ラインを含めて多数の伯やブラバント大公、ミュンスター司教らの中規模領域権力が錯綜していた。その中で都市や諸侯、貴族間の同盟が形成され、またその分裂、紛争、再編を繰り返していた。国王のこの地域におけるプレゼンスは極めて弱く、王、その直属封臣である諸侯、陪審である在地貴族という封建関係は実質機能を失い、多様な政治的コミュニケーションによる可変的なネットワークが政治秩序の基盤をなすという中世後期帝国の特質がすでに明確に現れていることが確認された。従って、こうしたヴァリエーションをともなう広域的なコミュニケーション・ネットワークが帝国レベルに広がる契機とプロセスを明らかにすることが、次の課題となる。なお29年9月にはミュンヘン大学にてK・ゲーリヒ教授、ヴィーン大学ではPh・ビュク教授と研究課題について意見交換し、助言を得ることができた。
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Strategy for Future Research Activity |
帝国東部に重心を移したルクセンブルク朝カール4世時代の、各地域の政治秩序を、王権の影響力が希薄で、領邦関係が錯綜する帝国西部について、とりわけ中小領邦、有力在地貴族、都市同盟のネットワークの展開に着目することにより考察する。さらにカール4世没後の国王ヴェンツェル(1378-1400) 時代に新たな展開を見せる帝国西部の政治的コミュニケーションを考察対象とする。この時期には経済力を背景に政治的アクターとして集団的な影響力を強める都市同盟と、騎士・貴族、諸侯の対立、フェーデが頻発し、ハプスブルクとヴィッテルスバッハ家の対立、帝国西部におけるブルゴーニュ公国の脅威など帝国政治全体が混乱を極める中で、ヴェンツェルはボヘミア支配に忙殺され、こうした帝国西部の問題に対応できなかった。その中でシュヴァーベン、ライン都市同盟を中心に、騎士、貴族、諸侯が同盟と対立、休戦、和解を繰り返し、こうした地域、広域、帝国の治安、平和(ラントフリーデ)のためのインテンシヴなコミュニケーションの繰り返しのなかから、「国王不在の王国集会」「ヴェンツェルの廃位」に見られる、王権から自立し、また新たなアクターとして帝国都市と市民をも加えた政治的コミュニケーションが展開する過程を明らかにする。それによりヴェンツェル時代を混乱期としてのみ見なすのではなく、多様な政治主体が、各々のめざす地域と帝国のコミュニケーションを深化させ、相互に齟齬する秩序観の調整・妥協へと向かうプロセスとして明らかにする。このために文書史料のみならず、図像、シンボルなど様々なメディアをも手がかりとする。
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Research Products
(5 results)