2018 Fiscal Year Research-status Report
自由フランスによる国内レジスタンスの包摂過程に関する研究
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17K03174
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Research Institution | Kyoto Tachibana University |
Principal Investigator |
渡辺 和行 京都橘大学, 文学部, 教授 (10167108)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 自由フランス / レジスタンス / ジャン・ムーラン |
Outline of Annual Research Achievements |
2018年度は、自由フランスによる国内レジスタンスの包摂過程について、特に南ルートの解明に集中した。それは、ドゴール将軍の代理であるジャン・ムーランの行動を跡づける作業でもあった。日本人研究者によるレジスタンス研究は、半世紀ほど前に出た研究(淡徳三郎『レジスタンス―第二次大戦におけるフランス市民の対独抵抗史―』新人物往来社、1970年)しかないのが現状である。淡氏の研究は、1960年代の研究成果をまとめた優れた研究ではあるが、レジスタンス諸組織を網羅した分、各組織の分析は浅くなり、ムーランの行動についても不十分であった。 それゆえ、私のムーラン研究は一から始めざるを得なかった。幸いフランスでも、1990年代に優れたムーラン論が出始めた。アンリ・ミシェル、ダニエル・コルディエ、ジャン=ピエール・アゼマ、ピエール・ペアンその他のムーラン論である。これらの先行研究に依拠して、時系列的にムーランの行動を明らかにするべく努めた。特にフランスを脱出したムーランが、1941年9月にリスボンでイギリス情報機関と接触したことが判っているが、それがなぜ可能となったのかについて、おおよその理解を得ることができた点は収穫であった。 ムーラン研究を続ける過程で副産物とはいえ、「ジャン・ムーラン事件」というテーマに出くわしたことも収穫であった。「ジャン・ムーラン事件」とは、ムーランはソ連のスパイかアメリカのスパイか、それともドゴール主義者なのかという1990年代に起きた論争のことである。元々は、レジスタンス指導者アンリ・フレネによるムーラン批判(ムーランは「隠れ共産党員」)に端を発しており、バンフレジ、ウォルトン、ベナックらによるムーラン批判とヴィダル=ナケやコルディエによる反批判として行われた論争である。このテーマは、わが国ではまったく紹介されていないテーマであり、近い将来、成果の公表も考えている。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
やや遅れていると判断した理由は以下の通りである。まず、2018年4月に京都橘大学文学部に異動し、職場環境が大きく変わったことである。職住近接の前任校、奈良女子大学と比べて通勤時間が3倍になったことや、ゼミ生も前任校の5倍になり、卒論指導時間などが大幅に増えたことである。2つ目は健康上の理由である。2018年5月と8月に目の手術をしたことで1ヶ月ほど研究に専念することができなかったことや、持病の悪化も研究の遅れに繋がった。目の手術後ということもあり、夏期のフランス出張も断念せざるを得なかった。 3つ目の理由は、上述した「ジャン・ムーラン事件」に出くわしたことである。本来のテーマからすると寄り道ではあるが、わが国ではまったく知られていないテーマを知らせる意義を痛感して、このテーマに関する文献5冊を精読したことが、南ルートの包摂過程という本来のテーマに注ぐ時間の減少に繋がった。とはいえ、フランスにとって「ジャン・ムーラン事件」は、戦後70年を閲しても第二次世界大戦期の歴史がいまだにホットな争点であり、しかもヒストリカルな関心はもとよりポリティカルなテーマであり続けていることを示しており、戦争の記憶や表象の問題としても興味深い事例となっている。 以上のような理由が重なったことが、当初の予定より研究が遅れぎみであると判断した理由である。なるほど、単年度で評価すると「やや遅れている」かもしれないが、3年というスパンで評価すると「おおむね順調に進展している」になるのではないかと考えている。
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Strategy for Future Research Activity |
ジャン・ムーランを中心にフランス・レジスタンスの包摂過程の研究を進める。南ルートと北ルートで別々に進展した包摂過程であるが、最終的には南ルートを主導したムーランの尽力によって、南北のレジスタンス組織の統一が達成されるので、科研申請書に記した3年目の課題である両ルートの統合過程についても、ムーランの行動を中心にフォローすることで目的が達成されると考えている。まずは、上述したムーラン論の精読を踏まえて、ムーランと他のレジスタンス指導者との対立や見解の相違、自由フランスと国内レジスタンス組織との解放をめぐる青写真や解放後の政治秩序をめぐる齟齬などにも目配りしつつ、統一に向かうプロセスを押さえる。 史料としては、レジスタンス指導者(共産党系のチヨン、ヴァルリモン、ヴィヨン、デュクロ。社会党系のブロソレット、ピノー、エマニュエル・ダスティエ、オブラック。中道系と保守系のフレネ、ベヌヴィル、ドビュ=ブリデル、ブルデ、レヴィ、ボーメル、ヴィアネ他)の回想録、およびムーランの側近たち(ムニエ、コルディエ)の回想録、さらに自由フランスの情報組織BCRA(中央情報行動局)局長パッシーの回想録や自由フランス系のエージェント(クロゾン、ブシネ=セルール、クレミュー=ブリヤック)の回想録などを用いる。さまざまなレジスタンス政治潮流の証言を突き合わせつつ、自由フランスによる国内レジスタンスの包摂過程を実証する。
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