2017 Fiscal Year Research-status Report
A Basic Research on the Torbs of Foreigner in Japan in the 19th Century
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17K03225
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Research Institution | Beppu University |
Principal Investigator |
田中 裕介 別府大学, 文学部, 教授 (30633987)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 長崎の唐人墓 / 幕末の外国人墓地 / 長崎崇福寺墓地 / 下田玉泉寺墓地 |
Outline of Annual Research Achievements |
近世長崎に所在する外国人墓地の中でも17世紀から19世紀まで継続的に造墓がおこなわれている唐人墓の調査として長崎市臨済宗崇福寺墓地の調査を開始した。まず過去の調査で確認されている300基弱の唐人墓の所在を確認した上で、やく3分の1にあたる90基ほどの基礎調査をおこない、基本的な墓碑形式の分類と指標となる形式の実測調査と写真撮影をおこなった。その結果、17世紀の墓地である長崎市悟真寺墓地には存在しない形式の墓碑を数種類確認し、17世紀後半から18世紀前半の墓碑変化の大要をつかむことができた。 近世初期の平戸のイギリス人墓地とオランダ人墓地の所在については、平戸市の推定地と平戸市横島の予備的な現地調査をおこなったが、現地には手がかりはなく、現状では改変が著しく、史料と現状観察では絞り込むことは難しいとの感触を得た。今後は地下レーダー探査等の物理的方法を模索する必要がある。 幕末の外国人墓については長崎市大浦国際墓地、神戸国際墓地、横浜外国人墓地の予備調査をおこなった。大浦国際墓地については基本的な墓碑の分類をおこなうことができた。さら、250基ほどの墓碑の内80基の調査を終了した。神戸国際墓地については明治初年の外国人の墓碑に日本式の墓地を用いている例が数例あることが確認され、居留地と墓地が作られたごく初期には、複雑な状況がみられ、明治政府も明治2ないし3年頃までは江戸幕府の対応を踏襲した可能性型が高く詳細な調査の必要性が判明した。横浜外国人墓地については居留地時代に埋葬がおこなわれた1899年銘の墓碑やく500基を予備調査をおこなった。長崎と同じ形式のアメリカ東部の墓碑が多数あることが判明した。 静岡県下田市玉泉寺外国人墓地については、アメリカ水兵墓地とロシア水兵墓碑について代表的な墓碑を実測し、同一型式であることを確認した。 調査による実測図についてはトレースを行った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
調査に必要な備品の購入を完了し、当初の予定通り調査に着手した。当初から予定していた長崎市崇福寺の唐人墓地、長崎市大浦国際墓地、兵庫県神戸国際墓地の予備調査を予定通り実施できた。崇福寺と大浦国際墓地についてはほぼ3分の1の詳細調査もおこなうことができた。平戸の近世初期のイギリス人墓地とオランダ人墓地については予備調査をおこなったが、現地では具体的な墓地の位置を特定することは表面だけでは無理なことが判明し、それ以上の調査に進めなかった。また当初計画していた函館国際墓地の調査は秋口までに調査の機会を逸してしまい、真冬の調査は無理なので次年度に延期した。また神奈川県横須賀市の三浦按針墓所の調査も崇福寺等の調査が重なったため、次年度に延期した。 かわりに静岡県下田市玉泉寺の1850年代のアメリカ人とロシア人水兵の墓地の実測調査をおこなって前倒しで調査を終了した。さらに神奈川県横浜外国人墓地の予備調査を行うことができた。 以上の点では予定通りできなかったところもあるが2年目に行う予定であった箇所を前倒しして調査できたところもあったため、全体としてはおおむね順調に伸展しいると考えている。
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Strategy for Future Research Activity |
唐人墓の編年資料として標識となる長崎市崇福寺墓地の調査と長崎市大浦国際墓地の調査を継続し2年目に完成を目指す。昨年度できなかった函館外国人墓地と神奈川県横須賀市三浦按針墓所の調査を行う。そのうえで横浜外国人墓地と神戸外国人墓地の詳細調査を行う予定である。 並行して初年度の資料整理とトレース作業を行い、報告書の作成に備えたい。
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Causes of Carryover |
予定していた函館調査旅行が、秋までに行うことができず、寒さが厳しかったこともあり、冬に行うことをあきらめ、次年度に延期したため、使用を予定していた旅費が残った。 30年度ははやめの5月に函館調査旅行をおこない、そのあと当初の計画を実施し、全体の計画を送らせないようにする。
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