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2019 Fiscal Year Annual Research Report

The Struggle amonb the U.S.A., U.K., and Canada after Dropping of Atomic Bombs

Research Project

Project/Area Number 17K03597
Research InstitutionWaseda University

Principal Investigator

有馬 哲夫  早稲田大学, 社会科学総合学術院, 教授 (10168023)

Project Period (FY) 2017-04-01 – 2020-03-31
Keywords原爆 / 原子力 / ケベック協定 / 外交 / アメリカ / イギリス / カナダ / 広島、長崎
Outline of Annual Research Achievements

本研究は米第2公文書館、英国立公文書館、加国立図書館・文書館所蔵の公文書に基づくマルチアーカイヴ研究である。
研究成果として以下のことを明らかにした。(1)原爆開発は米、英、加(ただし加は実質上の協定国)のケベック協定に基づく国際プロジェクトであり、多国籍の科学者が携わっており、従来考えられていたような米単独によるものではなかった。そもそも原子力を爆弾に使うという発想はドイツ人科学者によって英で生まれたものであり、マンハッタン計画はそれが米に技術移転されたことによって可能になった。加は原爆開発において、これまで全く名前があがってこなかったが、原料供給国として原爆開発に欠くことができなかっただけでなく、ウラン資源開発や原子力の平和利用に関しても、政治的にも重要な役割を果たした。(2)原爆投下の決定は、従来考えられていたように、米単独でなされたものではなかった。それは、「協定国の同意なしには使用しないという」ケベック協定2条に基づき、英の同意と加の了承を得たのちに決定されたものだった。1944年のハイドパーク会談で日本に原爆を使用すべきだと最初に主張したのも英首相ウィンストン・チャーチルだった。原爆の使用に関しては、英の働きかけによるものが大きかったが、英は必ずしも実戦使用を考えておらず、それをするにしても事前警告が必要だと考えていた。また、米の決定は、従来いわれていたように「100万人の米兵の命を救うため」ではなく、東ヨーロッパやアジアで勢力を拡大しているソ連に対する威嚇であった面が強い。(3)原爆投下後、英と加は米に協定に基づく技術とノウハウの提供を求めたが、米はこれを拒否した。英加は独自に原子力発電所の開発を行った。また、原爆開発中にニールス・ボアなどが主張していた原爆の国際管理も、英、加などの強力が得られず、実現しなかった。これが核拡散を招いてしまった。

Remarks

『原爆 私たちは何も知らなかった』(新潮社)の発行年は2018年であるが、2020年以降しか記入できないので2020年とした。

  • Research Products

    (2 results)

All 2020 2019

All Journal Article (1 results) (of which Open Access: 1 results) Book (1 results)

  • [Journal Article] 終戦後もアメリカは原爆を落とそうとしていた2019

    • Author(s)
      有馬哲夫
    • Journal Title

      週刊新潮

      Volume: 64 Pages: 54-57

    • DOI

      491020314089100407

    • Open Access
  • [Book] 原爆 私たちは何も知らなかった2020

    • Author(s)
      有馬哲夫
    • Total Pages
      256
    • Publisher
      新潮社
    • ISBN
      9784106107825

URL: 

Published: 2021-01-27  

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