2017 Fiscal Year Research-status Report
日本における公的年金制度の役割―創設の意義からの検討―
Project/Area Number |
17K04216
|
Research Institution | Aichi Prefectural University |
Principal Investigator |
中尾 友紀 愛知県立大学, 教育福祉学部, 准教授 (00410481)
|
Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
|
Keywords | 労働者年金保険 / 保険院総務局企画課 / 美濃部洋次文書 / 勤労者厚生保険制度要綱草案 / 国民養老保険制度 / 国民生活安定 / 国防国家構想 |
Outline of Annual Research Achievements |
従来、労働者年金保険法立案の意図をめぐる研究は、1939年7月に起草された「勤労者厚生保険制度要綱草案」を起点として分析されてきた。とはいえ、同草案の原文は失われており、近藤文二による要約しかなく、同草案そのものを分析した研究はない。そこで本研究ではまず、高岡裕之(2011)『総力戦体制と「福祉国家」』が言及した「美濃部洋次文書」収録の作成者および作成年月不明の文書「国民生活保障の問題と国民養老保険制度の提唱」を解釈することで、1939年7月以前の厚生省保険院総務局企画課の動向を分析することからはじめた。 「中外商業新報」による1938年5月および7月の報道や、当時、企画課で各種保険の創設に直接携わった厚生官僚らの回顧から、「国民生活保障の問題と国民養老保険制度の提唱」は、企画課が遅くとも1938年6月に作成した文書であることが明らかとなった。企画課は、同文書を新聞社のみならず、被保険者側および事業主側の関係者に配布しながら、「国民養老保険制度」創設の可能性を世間に問うていた。したがって、同文書は、企画課初の「国民養老保険制度」構想を表すものであり、同文書が、労働者年金保険法最初の草案である1939年7月起草の「勤労者厚生保険制度要綱草案」に結実したと考えてよい。 企画課は、同文書において、その本文としては工業化の進展による「社会的に有用な生産時代を働いた人々」の窮民化という社会問題について大幅な紙面を割いて説明しながらも、スローガンとしては「国民生活安定」という国防国家構想に則った言説を巧みに利用し、さらには、国防国家構想への具体的な寄与を意義として主張することで、「養老、廃疾、遺族保険制度」の創設を提案していた。 労働者年金保険法立案の検討は、1930年代の社会問題を背景に、従来いわれているより1年以上早い1938年3月末から4月には開始されていたことが明らかとなった。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
2017年度は、1938年1月の厚生省保険院新設以降の企画課の動向を調査し、年金保険の検討にかかわる年表を作成した。これによって、作成者および作成年月不明の文書「国民生活保障の問題と国民養老保険制度の提唱」を企画課初の「国民養老保険制度」構想だったと位置づけることができた。さらに、企画課による「国民養老保険制度」構想のキーワードとなっていた「国民生活安定」について、近現代史研究の成果を参照して「国民生活安定」が元々は陸軍が要望してきた政策方針の一つであり、2.26事件以降、廣田弘毅内閣、林銑十郎内閣、第一次近衛文麿内閣における政策方針として承認されていったものであったと位置づけることができた。 ここまで把握したところで一旦調査を終えて、社会事業史学会から依頼されていた政府管掌年金の植民地を含む大日本帝国憲法下の日本の住民への適用状況を調べることとした。このため、本研究課題の進捗状況としては、3か月ほど遅れることとなった。 ただし、これによって1895年以降の大日本帝国憲法下の日本の植民地(外地:朝鮮、台湾、関東州、南洋群島等)における、外地から内地、内地から外地への労働者の移動状況等を把握できた。さらに、政府管掌年金である郵便年金、船員保険、労働者年金保険の、外地人を含む適用対象規定の詳細について把握できた。制度の適用対象とされた人々が生きた社会状況における労働や生活のあり方、老齢、廃疾、死亡といった生活困難への個人や企業の自助努力を含む対処のあり方を踏まえて分析するという手法を採ろうとしている本研究にとって、内地および外地における内地人および外地人の労働状況や郵便年金を含む政府管掌年金の適用状況を把握できたことは、「単一民族史観」の克服にもつながり、有用であった。
|
Strategy for Future Research Activity |
企画課が1938年6月頃に作成した「国民生活保障の問題と国民養老保険制度の提唱」が「美濃部洋次文書」に収録されていたのは、当時、企画課長だった川村秀文が国策研究会の会員だったからであると考えられる。川村は、「社会政策、国民生活安定に関する諸問題」を研究する第4研究委員会に所属した。そこでまずは、国策研究会関係資料より国策研究会第4研究委員会および1938年7月に同委員会に特設された戦時労務対策委員会における審議内容を明らかにできる資料の発掘に努める。具体的には、国策研究会発行の当該年度の各『事業事務及会計報告』、『戦時労務対策委員会の審議経過に関する中間報告』等の各種報告書、国策研究会会報『新国策』のなかから関係資料を抽出する。また、戦時労務対策委員会の委員について調査し、報告書等に表されている審議の詳細を検討する。その上で、1938年当時の川村が、どのような意図でどのような年金保険を創設しようとしていたのかについて明らかにする。 また、風早八十二(1938)『日本社会政策史』や大河内一男(1940)『戦時社会政策論』等、同時代における社会政策理論の理解に努め、さらに、引き続き近現代史研究を参照して1930年代の社会経済状況の理解に努めることで、川村による意図を詳細に解釈していくと共に、年金保険の創設については、「総力戦体制」のみならず、都市化や産業化の進展との関係において検討できるようにしたい。
|
Causes of Carryover |
収集した資料を随時PDF化するために、また、PDF化した資料の利便性を高めるために、スキャナーとデジタルペーパーを購入する予定だった。しかし、スキャナーは古いものが使用でき、デジタルペーパーは次年度以降に購入することとして、購入しなかったために、次年度使用額が生じた。 次年度使用額は、主に収集した資料を体系的に整理するアルバイトを雇用するための費用とする予定である。
|
Research Products
(1 results)