2017 Fiscal Year Research-status Report
実践的判断のコード化不可能性と道徳教育の課題:「実例」に関する教育哲学的研究
Project/Area Number |
17K04540
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Research Institution | Aichi University of Education |
Principal Investigator |
山口 匡 愛知教育大学, 教育学部, 教授 (20293730)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 実例 / 道徳的判断力 / 道徳教育 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は以下の研究項目を予定している。①実践的・道徳的判断の「形式的条件」と「実質的条件」を明確化する。②道徳的「実例」の要件、機能、制約を解明する。③道徳教育における「実例」の問題性をとらえるための理論的な枠組みを提示する。これらをふまえて、初年度の平成29年度は、主に①と②の課題に取り組み、あわせて平成30年度から小学校で全面実施される「特別の教科 道徳」(道徳科)の教育観、指導観、学習観について分析を行った。 ①については、これまでの研究を継続するかたちで文献・資料の収集とその分析に取り組んだ。アリストテレス、カント、アーレントの判断力理論を相互補完的にとらえ直すうえで、「徳倫理学」に通底する、ある種の判断力理論の重要性が明らかになった。実践的・道徳的判断力の「実質的条件」を解明するために、さらにウィギンズやマクダウエルの倫理思想に認められる、いわゆる「道徳的感受性」の概念について分析を進めている。 ②については、広く「実例」の概念史について分析を行ってきた。もともと行為を通して与えられる「模範」や「手本」を意味していた「実例」の概念が、コメニウスの汎知思想や啓蒙主義の哲学以降、新しい、近代的な意味をもつようになった。とりわけ、後者の哲学思想が明確に打ち出したのは、模倣すべき模範や手本ではなく、自律的主体という理念である。「理念」はその定義上、経験の対象とはなりえない。カント以降、「実例」の概念は神学的な背景から決定的に切り離され、認識や行為を導くものではなく、認識すべき理念、実現すべき理念を具体的に提示する手段としてのみ、教育的な意味をもつようになったということである。しかし、ある実例をある理念の実例として理解できるためには、その実例が示しているはずの理念をすでに知っているのでなければならない。この逆説的な認識構造についての教育学的考察が今後のテーマになる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
平成29年度の研究計画として設定していたのは、①実践的・道徳的判断の「形式的条件」と「実質的条件」を明確化する、②道徳的「実例」の要件、機能、制約を解明する、の二項目である。また、予定通りドイツでの調査研究・資料収集を実施し、今後の研究に向けた準備を整えることができた。 ①については、これまでの研究を継続するかたちで文献・資料の収集とその分析に取り組んでいる。カントの判断力論、アリストテレスのフロネーシス論、アーレントの政治的判断力論を相互補完的に再構成するうえで、「徳倫理学」に通底する、あるタイプの判断力理論について分析してきた。その結果、実践的・道徳的判断力の「実質的条件」を解明するために、さらにウィギンズやマクダウエル等の倫理思想にみられる、いわゆる「道徳的感受性」の概念を判断力理論としてとらえ直す必要性が明らかになった。 ②については、「実例」の概念史の分析に取り組み、近代以降、「実例」の意味や役割が大きく変化した経緯を考察してきた。もともと、行為を通して提示される「模範」や「手本」を意味していた「実例」の概念は、とくにカント以降、神学的な背景から決定的に切り離され、新しい近代的な意味をもつようになった。端的にいえば、「理念」を具体的に提示する手段としての「実例」である。しかし、「理念」とはその定義上、経験の直接的な対象とはなりえず、経験的世界には存在しないものである。こうして、「実例」と「理念」をめぐる逆説的な認識構造が明らかになった。ある実例をある理念の実例として理解できるためには、その実例が示している理念それ自体をあらかじめ知っているのでなければならない。この逆説的な認識構造について、道徳教育の観点から分析することが、今後の課題のひとつとなる。 以上のような進捗状況により、おおむね順調に進展しているものと評価できる。
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Strategy for Future Research Activity |
平成30年度は、研究項目の①の課題をより精緻化させつつ、②の課題について集中的に取り組んでいく予定である。あわせて、これまでの研究成果を関連学会等で積極的に報告していきたい。 まず、「徳倫理学」から読みとることができる判断力理論を分析し、教育・経験・習慣などによって形成される、判断力の「実質的条件」を明確化する。「徳倫理学」の立場では、行為者としての性格や人柄に焦点を当て、「道徳的であるとはどのようなことか」という観点から、望ましい思考、感情、選択、振る舞いについて論じていく。この考え方は、③の課題である道徳教育および道徳的「実例」のとらえ方に対しても重要な意義をもつことが予想される。一般に道徳教育は、道徳的な価値や法則、規則を教えることとして理解されているが、「徳倫理学」の立場では、自然に行為の理由が見えるような人間を育てることこそが道徳教育だということになる。したがって、実践的・道徳的判断の「コード化不可能性」と「実例」の教育的機能を相互に密接に関連づけ、整合的に解明するうえで、「徳倫理学」の判断力論がきわめて重要になってくる。 他方、平成30年度から小学校で完全実施された「道徳科」では、「考え、議論する道徳」というコンセプトのもと、検定教科書のほかにも多様な「教材」の開発・活用が求められ、また「道徳的判断力」を重視する方針が明確に打ち出されている。平成31年度までの本研究全体を通して、「コード化不可能性」という性質をもつ判断力の育成が、「実例」を通して現実化していく機制を解明する予定であるが、「実例」はその性質上、誤解、誤認という危険性をつねにはらんでいる。本研究の視点から、道徳教育において「実例」がはたす役割、求められる条件、考慮されるべき制約を分析し、学校における道徳教育についても批判的な検討を行っていく。
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Causes of Carryover |
(理由)参加を予定していた学会への出張(2泊3日)が所属機関の業務のため実施できなかったことと、購入予定の図書(洋書)のなかで刊行が延期されたものがあったため。
(使用計画)次年度助成金とあわせて、図書、消耗品の購入、学会への参加費、旅費、および資料収集用に使用する。
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Research Products
(1 results)