2018 Fiscal Year Research-status Report
トルコにおけるアンリ・プロストの都市計画とミュゼ・ソシアルの役割に関する研究
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17K06752
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Research Institution | University of Hyogo |
Principal Investigator |
三田村 哲哉 兵庫県立大学, 環境人間学部, 准教授 (70381457)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | イスタンブール(コンスタンティノープル) / イズミル / ブルサ / アロン・エンジェル / ゾーニング / フランス都市計画家協会 / 都市・農村衛生部会 / コルニュデ法(PAE) |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度の研究実績は次の3点に大別される。第1は、1936年から1951年までイスタンブールの都市計画を手がけたフランスの建築家・都市計画家アンリ・プロストによる全10巻からなる報告書「イスタンブールの改善」に関してである。本報告書は私家版で、散逸しており、今年度アタトゥルク図書館とフランス・アナトリア研究所図書館で入手したものはその一部にあたる。その中にはイスタンブールの地域別に行った検討内容、法制、基本計画、ボスポランス海峡と金角湾とそれらの沿岸、道路をはじめとした交通網、ヨーロッパ側の都市計画、空港、旧市街に関する報告が記されている。この報告書は、プロストによるイスタンブールの都市計画が網羅されたもので「ヨーロッパ側基本計画」(1937)、「アナトリア側基本計画」(1937)、「ボスポラス海岸計画案」(1939-48)の解明に不可欠な史料である。第2は、トルコの近代建築・都市計画の専門家である中東工科大学教授ジャーナ・ビルセルとの学術交換で得た情報に基づく研究の成果に関してである。トルコ共和国初代大統領アタトゥルクは近代主義を掲げて新首都アンカラとともにイスタンブールの都市計画に着手し、フランスの建築家・都市計画家アルフレッド・アガシュ、ジャック=アンリ・ランベール、ドイツの建築家・都市計画家ヘルマン・エルグーツによる設計競技案とプロスト案の比較検討という新たな観点からの研究課題を立案した。第3は、ミュゼ・ソシアルの役割に関してである。20世紀前半に新たな都市計画、ユルバニスムを主導したフランスの建築家・都市計画家たちはミュゼ・ソシアルに所属する、もしくはその影響を受けている。プロストによるイスタンブールの都市計画と、ミュゼ・ソシアルが後の元帥ユベール・リヨテを介して関与したモロッコの諸都市やトルコのイズミルのものとの相違点について一定の知見を得た。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
当初の研究計画では、夏季と春季の休業期間中にトルコとフランスを訪問する予定であったが、研究業務と出張期間をまとめることによって、春季の休業期間中に両国を訪問し、資料収集と実地調査を実施した。現在までの進捗状況は次の3点にまとめられる。第1は、研究計画の通り、プロストによるイスタンブールの都市計画案「アナトリア側基本計画」(1937)に関する資料の収集、および図面と報告書に基づいた考察である。一方、本年度入手した報告書「イスタンブールの改善」は、その一部に止まるが、研究計画の段階で想定していたものよりも、「ヨーロッパ側基本計画」(1937)ほかの3案がいずれもより具体的に把握できるようになり、当初の予定以上の研究成果が得られる可能性があると考えられる。最初に立案した研究計画とは、一部が異なり、「ヨーロッパ側基本計画」(1937)と「アナトリア側基本計画」(1937)に関する考察がやや遅れているが、研究の深化を考慮すると、今後さらに意義ある成果が期待できるため、総合的に判断すると、決して遅れているとは言えない。第2は、昨年度の学術交流で得た研究成果に基づいて着実に史料調査が実施できた点である。本調査に基づいて、最終的な設計者に指名されたプロストのみならず、設計競技に参画した3者の提案を比較検討することが可能となった。研究実績が着実に蓄積されているという点で、予定通りの成果であったと考えてよい。第3はミュゼ・ソシアルの都市・農村衛生部会に関する考察に関してである。イスタンブールの都市計画を描いたフランスの3名の建築家のうち、本部会でそれぞれ主席書記官や広報活動を展開したプロストとアガシュを中心にその概略を調査した。尚、本年度の研究計画に「ブルサの都市計画」(1938-44)に関する考察が含まれていたが、こうした観点から総合的に捉えておおむね順調に進展しているといえる。
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Strategy for Future Research Activity |
当初の研究計画では、次年度の主な考察な対象は「ボスポラス海岸計画案」(1939-48)で、全3年度間の研究全体を取りまとめる予定であった。初年度と次年度の研究実績を鑑みると、現在これらの一連の考察の対象と研究推進の方策に大きな変更はない。今後の研究の推進方策は次の3点にまとめられる。第1は、次年度の考察対象であった「ブルサの都市計画」と最終年度の主な考察対象である「ボスポラス海岸計画案」(1939-48)に関する考察である。第2は、プロストによる報告書「イスタンブールの改善」を可能な限り収集し、「ヨーロッパ側基本計画」(1937)、「アナトリア側基本計画」(1937)、「ボスポラス海岸計画案」(1939-48)に関する研究の成果をとりまとめる。第3は、フランスの建築家・都市計画家レオン・ジョスリー、ドイツのヘルマン・ヤンセン、ジョゼフ・ブリックスが参画したアンカラの新首都計画も含めて、ミュゼ・ソシアルの建築家・都市計画家たち、つまり20世紀の新たな都市計画ユルバニスムのトルコ2大都市への影響について、フランスとドイツ、歴史都市と新首都、海岸都市と内陸都市という相違点を考慮しながら、総合的な観点から捉え直す試みである。プロストはモロッコ、フランス、トルコで都市計画を手がけた。これらの3カ国で手がけた都市は「保護領の分離政策と文化財の保護政策」、「都市拡張を推進するための都市計画法の制定」、「近代国家樹立を象徴する都市建設の方針」という背景がまったく異なる中で、戦間期という近代主義全盛の時代に歴史主義を貫徹した。これらの相違点と歴史主義がそれぞれの都市計画にどのような形で現れたのか、こうした課題に対する回答が最終目標であることに変わりない。
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Causes of Carryover |
当初の研究計画では、夏季と春季の休業期間中にそれぞれフランスとトルコを訪問して、パリ、イスタンブール、ブルサにおいて資料収集、実地調査を実施する予定であった。次年度に実施した外国出張は、上記2点の研究活動を遂行するために、春季のフランスとトルコへの訪問のみであった。直接経費のうち、当初の予算計画の額よりも支出額が少なく、次年度使用額が生じた最大の理由は、夏季と春季に予定していた外国出張を春季にのみ実施したためである。最終年度使用額の使用計画は次の通りである。第1に、次年度には資料収集と実地調査のためにフランスとトルコへの外国出張が予定されており、外国出張の期間を当初よりも延長して旅費の増額に充てる予定である。次年度に実施した研究調査の成果に基づいて、イスタンブールとブルサにおける調査が当初の計画よりも必要になったためである。第2の使用計画は図書費の増額である。初年度の研究成果に基づいて、ミュゼ・ソシアルの役割を総合的かつ精緻に解明するため、プロストばかりでなくそのほかの建築家・都市計画家たちについても調査を実施する必要が生じた。研究の対象と視点をプロストばかりでなく、それらを拡大させる必要がある。図書費の増額はそのための資金とし、ミュゼ・ソシアルの都市・農村衛生部会に所属した建築家・都市計画家に関する調査費に充てる予定である。
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Research Products
(2 results)