2018 Fiscal Year Research-status Report
Historical Study about Butokuden in Taiwan as Colonial Urban Facilities
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17K06753
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Research Institution | Okayama Prefectural University |
Principal Investigator |
西川 博美 岡山県立大学, デザイン学部, 准教授 (00749351)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
中川 理 京都工芸繊維大学, デザイン・建築学系, 教授 (60212081)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 台湾 / 武徳殿 / 日本統治時代 / 大日本武徳会 / 武道 / 台湾総督府 |
Outline of Annual Research Achievements |
2018年度は、大日本武徳会によって1930年代に建設された大規模で現存している3つの武徳殿(南投武徳殿、彰化武徳殿、旗山武徳殿)と、大日本武徳会によるものではないが、規模が大きく、現在もその施設が保存され活用されている台中監獄武徳殿を調査した。その調査成果について、これまで史料調査で悉皆的に明らかにしてきた武徳殿の事例と比較検討を行った。 その結果、武徳殿の建設および建築形式において、時代ごとに特徴ある変遷が認められることが確認できた。さらに、台湾で大日本武徳会の活動が始まってから1920年代までと、それ以降の二つの時期に分けて、建設経緯・建築形式を検討することが妥当であることがわかった。 そこで、2018年度は、その前半期の武徳殿について、すでに失われている武徳殿も含めて、史料から存在を明らかにできる26棟を抽出し、詳細な分析をおこなった。 その結果、本来は大日本武徳会という組織による武道場という施設であったものが、しだいに公的な施設として建設が進んでいく状況がわかった。場合によっては、地方行政の長が、その建設計画をリードすることもあった。そうしたために、武徳殿建築の設計も地方行政の技師や技手が手がけたことを伺うことができた。また、建築形態も、日本本土の武徳殿を参照しながらも、各地方で規模・形式がそれぞれ異なるものが作られていった経緯も明らかになった。これらの分析成果については、それをまとめ、2019年4月に日本建築学会計画系論文集に投稿した(西川博美、中川理「台湾における武徳殿の成立と波及」11 pages、4月9日投稿済)。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
2018年度は、以下の3点の作業・成果により、研究計画を着実に遂行することができた。 1)これまで、もっぱら史料から存在を確認するだけであった台湾における武徳殿建築を、実際の建築物(現存している貴重な3棟)の調査を実施することで、建築の実体的形式から、数多く建設された武徳殿について、分類し整理して分析することが有効であることを確認できた。 2)その成果を踏まえて、これまでの台湾総督府文書や新聞記事などの史料調査について、改めてやりなおし、武徳殿建設の経緯に関わる、新たな貴重なデータを得ることができた。 3)以上の作業から、台湾全土に広がる武徳殿建設の経緯、とりわけ大日本武徳会、地方行政、経済団体などの関係について明らかにすることができた。これにより、従来の研究では明らかにできなかった新しい視点を導入することができた。 4)また同時に、これまで明らかにできていなかった、武徳殿の設計者についても、台湾総督府や地方行政の技師・技手が携わったであろうことを推定することができた。 5)こうした成果について、①日本統治期の台湾でも大日本武徳会の支部が結成され地方にも拠点が作られ、その拠点ごとに日本内地の武徳殿に倣った多くの武徳殿が建設された。②建設費は当初は大日本武徳会への寄付金で賄われたが、しだいに地域で建設のための寄付金が集めれるようになった。③武徳殿の建設は植民地統治の同化政策としても捉えられるが、一方で地域の公的な施設として認識されるようになっていった。としてまとめ、この内容を学術論文として投稿することができた。
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Strategy for Future Research Activity |
2018年度の研究成果として、1930年を境にして、武徳殿建設の波及期(前期)とその定着期(後期)にわけることができることを明らかにした。そして、その前期について詳細な分析を行い成果をあげた。そこで次年度は、後期について、同様の分析手法で調査を行い(現状では21棟の武徳殿が想定されている)、その上で、前期・後期を合わせて研究全体のまとめに至る計画である。 その際に着目しなければならないのは、武徳殿の公的施設としての認識が、支配者側としての日本人だけのものであったのか、日本人以外の現地住民も含んだものであったのかである。前期だけの考察だけでは、これを十分に明らかにできていない。また後期では、前期より武徳殿の大規模化が進むが、なぜそうなっていくのかについても、その背景を明らかにする必要がある。さらに、2018年度の考察では、この武徳殿の建築の設計者について十分には明らかにできたとは言い難い。地方行政の土木系技師などによるものだろうという推察はできたが、その具体的な技師や、他の公共施設の設計との関係などについて明らかにできていない。これについても、今後明らかにしたいと考えている。
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Causes of Carryover |
当初計画では、現地での聞き取り調査のために通訳を雇う予定で謝金を見積もっていたが、現地での研究協力者が英語・日本語を理解できることが事前にわかったため、通訳者が不要となった。しかし次年度は、武徳殿の使用が現地住民にもあったのかどうか等を詳しく調査するためにも、中国語の通訳者を雇用する予定である。
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