2018 Fiscal Year Research-status Report
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17K13325
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Research Institution | Doshisha University |
Principal Investigator |
服部 敬弘 同志社大学, 文学部, 助教 (10770753)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 生 |
Outline of Annual Research Achievements |
前年度は、後期アンリ言語論の理論的原型を求めて、『マルクス』(1976)の「生の潜勢態の現勢化」の分析を行ったが、2018年度はさらに、『受肉』(2000)及び『キリストの言葉』(2002)の記述を踏まえ、言語論と「生の疎外としての経済」と題された『マルクス』第7章との比較考察を行った。後期アンリ言語論は、生の言葉と世界の言葉の対立を軸に展開される。アンリはこの言葉(ロゴス)を一貫して「現出」や「開示」として捉える。その意味では、後期アンリ言語論もまた、前期以来の超越と内在という二つの現出様態に基づく二元論、すなわち「現出の二元論」を踏襲する。ただ、後期アンリの特徴は、前期における極端な二元論を修正し、言語によって二つの現出様態を積極的に架橋しようと試みる点にある。この困難な作業は一方で、「生の言葉」を通じて内在領域内部の豊かさを表現し、それを「生」と「生けるもの」との相互内在的関係として定式化することによって遂行される。ところが他方でこの作業は、この同じ「生の言葉」がいかに内在から超越への転換の契機を含むかという問いへ応答することをも要求する。この課題は、『キリストの言葉』では限定的にしか論じられていない。ただ、それはアンリがこの問いを放置したことを意味しない。というのも、『マルクス』第7章が当該の問いへの暫定的解答とみなしうるからである。事実、アンリは「生の潜勢態の現勢化」を、生の豊かさを表現する運動として捉える一方で、この運動のなかに生が変質する契機を見出している。アンリはそこで「感情」を産出する主観的行為としての「欲求」が、その直接的満足を離れ、いかに貨幣を介した満足、「商品」の際限なき生産を指向する運動へと変質するかを描き出すのである。この変質は「生の目的論の逆転」と呼ばれる。この決定的な過程の分析を通じて、後期アンリ言語論の新たな側面を明らかにすることを試みた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
2018年度は、『受肉』及び『精神分析の系譜』(1985)の分析を進めた後、『キリストの言葉』の読解にも着手したが、その結果、言語論の中心的発想が『マルクス』へと遡行することが明らかとなった。そのため、『マルクス』の分析によって補完する形で、後期アンリ言語論の研究を遂行した。この研究に関連して、アンリが参照した戦前のフランス哲学文献調査のため、フランス国会図書館で文献調査を行った。以上の成果は、今後、同志社哲学会のSPD叢書の論文として発表される予定である。なお、それと平行して、アンリと同時代のデリダの著作も参照し、特に「特有語」と「翻訳」をめぐるデリダの思考を手がかりに、アンリ言語論との比較対照を試みた。この一連のデリダの思考は、連作「ゲシュレヒト」(Geschlecht)として断続的に展開されたものだが、それは、アンリと同様、(『言葉への途上』におけるトラークル解釈を中心とした)ハイデガーの言語論を批判的参照軸としながら、初期エクリチュール論の新たな展開を試みたものである。デリダの「ゲシュレヒト」論を読み解くことで、1980年代から1990年代にかけてフランス現象学内部で展開された言語論の一側面が明らかになった。それと同時に、こうした読解は、アンリ言語論の射程と限界を照らす一助となった。その成果は、2019年に同志社大学で行われた国際コロック、「ジャック・デリダと現象学」で発表された。
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Strategy for Future Research Activity |
2020年度は本研究課題最終年度にあたるため、これまでの研究成果を踏まえ、後期アンリ言語論の総括に着手する。総括にあたり、「生の言葉」と「世界の言葉」との錯綜した関係に焦点を当て、統合的な解釈モデルを構築する。その際、「生の言葉」が後期アンリにおいて「神のロゴス」として思惟される以上、後期アンリのキリスト教への接近がどのような意味をもつかを明らかにする必要がある。そのために、『キリストの言葉』の分析を改めて整理し、後期アンリ言語論において聖書読解が果たす役割、さらに「キリスト」という(生と諸々の生けるものとの)媒介的存在のもつ重要性について、さらなる考察を進める予定である。その際、次の二つの資料を重視する。第一に、『キリストの言葉』成立過程を窺い知ることのできる、ルーヴァン・カトリック大学アンリ・アルシーヴ発行の『キリストの言葉』準備草稿である。第二に、J.-L. クレティアンによるアンリ言語論に関する論考である。これら二つの資料を踏まえ、『キリストの言葉』における聖書の(言葉(parole)と同語源の)「たとえ話」(parabole)をめぐる記述を精査し、アウグスティヌス言語論に淵源するこの記述が、どのような点で後期アンリ言語論の中核的記述でありうるかを論究する。こうした作業を通じて、『我は真理なり』(1996)、『受肉』、『キリストの言葉』というキリスト教三部作において展開された後期アンリ言語論の全容を解明する。その成果は、『人文学』(同志社大学人文学会)において公表される予定である。
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