2019 Fiscal Year Research-status Report
日本帝国主義の満洲経営と植民地統治との連動/背反に関する思想的研究
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17K13341
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Research Institution | Yamagata University |
Principal Investigator |
許 時嘉 山形大学, 人文社会科学部, 准教授 (10709158)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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Keywords | 満州事変 / 台湾新民報 / 台湾人渡満 / 日華親善 |
Outline of Annual Research Achievements |
前年度までは1920年代のアメリカ排日移民法に対する日本本土の言論と植民地台湾のそれとの温度差は日本帝国主義の内部構造のねじれを具現化するものであり、米国の排日は「弱小民族」としての台湾人自意識の形成に拍車をかけただけではなく、ある種のアジア共同体の理想像に裨益する、「日華親善の架け橋」という自己認識を強化する契機ともなったことが明らかになった。本年度は前年度の研究成果を踏まえて満洲事変に対する当時の台湾人の主張を考察し、日本の満洲占領に疑念を抱きつつ、新天地である満洲の開拓に赴くことをポジティブに捉えた植民地台湾の言論界を解明した。 その研究成果は以下の通りである。1930年代台湾人主宰の『台湾新民報』の報道を考察した結果、事変がもたらした経済面の利害関係の分析に終始し、満州事変を両国の間で平和的に解決してほしいという論調が前面に押し出されていたことが明らかになった。同誌が「日中は同族の関係にある」という日華親善の重要性を訴えていることは、20年代の議会設置請願運動以来の論調――政治参加と自治権付与の正当性を証明するために、台湾人がいかに日本と中国の架け橋として活躍できるかをひたすら強調してきた日華親善論と一致している。また、民族運動指導者として知られる林獻堂の日記を考察すると、日本の満洲進出に対してはやや否定的な態度を示しながらも、彼は台湾人が新天地に赴くことに高い期待を寄せている。この矛盾する心象風景からは、植民地台湾社会の閉塞感から解放されたいと渇望する彼の気持ちがどれほど切実なものであったのかが窺えるのだろう。【招待講演①、講演報告①】
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
本年度は、満州事変時、植民地台湾の言論がかつての「日華親善」の論調の延長線に立つことが確認できたが【招待講演①、講演報告①】、そのレトリックの二面性(本音なのか、それとも被植民者が検閲を逃れるための自己防衛のレトリックなのか)をどう解明すればよいのか、その証左資料の収集が滞っているので予定より進度が遅れてしまった。 先行研究が指摘したように、1933年、大亜細亜協会が台湾各地に支部を設立すると、以降は大陸進出を主張したアジア主義者の日華親善と東亜平和というスローガンが台湾人知識人にも多用されることになった。よって、「脱植民地化を最終目標としながら、平等的な権利を獲得するための『防衛の論理』として日華親善や東洋平和を語っていた」(何義麟2013)という単なるレトリックに止まっている可能性がなかなか払拭できないのである。それに対して、本研究の仮説は、たとえ自己防衛の論理として利用せざるを得なかったにしても、侵略的なアジア主義との親和性を回避できないという危険に対して、台湾人知識人たちがあまりにも「無頓着」に見えることも事実である。その思想的限界はいつ、どのように生じたのだろうかを、戦前満州に滞在し、戦後台湾に引き揚げられた台湾人のオーラルヒストリーとインタビューの記録集を対象として考察して試みたが、それぞれの生い立ち、思想、家庭背景が相違して一概に言えないので、同時代の多様な言説と合わせて綿密に調査、追跡する必要があった。残念ながら本年度末にコロナウイルスの影響により海外の資料調査が難航しており、これ以上の研究成果が上げられなかった。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は30年代台湾言論界における満州事変の言説を中心に資料調査を行ない、同時代植民地台湾における満州事変像と満洲国像を分析する。具体的には以下の二つの方向で進める予定である。 (1)1929~31年台湾島内の新聞紙と雑誌(台湾日日新報、台南新報、台湾警察時報、台湾時報など)などの公の言説と黄旺成日記、簡吉日記、張麗俊日記、三好徳三郎追憶録など個人的な観察を同時に考察し、植民地台湾における満州事変の言説空間の構造を明らかにする。 (2)満州国建国前後に関する日本人イデオローグたちの思想言説、特に石原莞爾の民族協和論が台湾島内でいかに受容されたのかを考察する。台湾島内の「閉塞感」を映し出した満洲国の「新天地」というイメージがいかに作り上げられたのかを追跡することで、同時代台湾人の満洲観を考察し、満洲経営と植民地統治の原理との連動/背反について複眼的に明らかにする。
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Causes of Carryover |
本年度末(2020年2月-3月)に海外の資料調査を企画していたが、その後コロナウイルスの影響で出張が難航し、資料調査を諦めざるを得なかった。本研究の必要な資料はほとんど台湾と中国にあるので、現地に直接に行かないと入手できないのである。2020年夏以降、国境が再開される場合、台湾と中国に1920-30年代の新聞と雑誌の資料を調査し、満州事変をめぐる台湾と中国の言論の温度差とその意義を考察していく。繰越の予算額は出張旅費に当てる予定である。
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