2006 Fiscal Year Annual Research Report
「新旧論争」に顧みる進歩史観の意義と限界、並びにそれに代わり得る歴史モデルの研究
Project/Area Number |
18320007
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Research Institution | Niigata University |
Principal Investigator |
栗原 隆 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (30170088)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
山内 志朗 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (30210321)
城戸 淳 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 准教授 (90323948)
座小田 豊 東北大学, 大学院文学研究科, 教授 (20125579)
伊坂 青司 神奈川大学, 外国語学部, 教授 (30175195)
小田部 胤久 東京大学, 大学院人文社会系研究科, 助教授 (80211142)
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Keywords | 歴史哲学 / 美学 / 芸術論 / 思想史 / 進歩史観 / ロマン主義 / 新旧論争 |
Research Abstract |
1.近代における進歩史観の成り立ちを考究するために、「<近代性>の原理を捉え直す」というテーマで、2006年8月18日、19日に、新潟大学で公開研究会を実施した。そこでの討議を通して、ヨーロッパにあっては、「古代」と「近代」との対比が、南方と北方、全一性と主観性との対比としても重層していたことを確認するとともに、近代の始まりがデカルトよりも早く、既に15世紀の初期フランドル絵画から、<近代絵画>の特徴を捉えることができることが明らかになった。この研究会の成果の一部は、『ヘーゲル哲学研究』12号に発表された、栗原隆の「意識と無-シュルツェとドイツ観念論」、ならびに同誌に発表された伊坂青司の「シェリング同一哲学とヘーゲル初期哲学体系構想の差異」として結実した。 2.さらには、これにより、進歩史観は、近代における進歩を謳う思想ではなく、むしろ<近代>を超克せんとする発想がその根本にあって、それを裏返しに表現したのがロマン主義であったことも明らかにされることになった。こうした研究の成果は、伊坂青司が編集した『ドイツ・ロマン派研究』(御茶の水書房)に掲載された小田部胤久の「ロマン主義の美学を突き動かしていたもの」、ならびに栗原隆の「虚無への供物としての知」、そして小田部胤久の編著『交響するロマン主義』(晃洋書房)における小田部の論考「近代的理念としての『さすらい』--一つのロマン主義的主題とその変奏」として発表された。 3.「古代」と「近代」のそれぞれに、「芸術」と「哲学」を対応させようとするのが、ヘーゲルのいわゆる「芸術終焉論」の枠組みであったが、この「芸術終焉論」は、古代の芸銃よりも近代の哲学が優れているという認識を示すものでは決してなく、むしろ、その時代の人々の精神が主観主義化、アトム化した<近代>にあっては、「芸術」さえも個人の慰みごとに貶められることになりかねないので、「哲学」を通して精神の自己認識を回復せんとする、いわば近代の超克を目指すものであったことが明らかにされた。こうした知見は、栗原隆が編集した『芸術の始まる時、尽きる時』(東北大学出版会)に収録された論考、山内志朗「arsから芸術が分離する時」、佐藤透「芸術が体験される時」、加藤尚武「絶対精神の日常性」、小田部胤久「『人間的』芸術の行方あるいは芸術の『非人間化』をめぐって」、栗原隆「芸術が<興味をそそるもの>になった時」、森本浩一「『批評』の位相」、城戸淳「カントの崇高論」、伊坂青司「神話と芸術」、座小田豊「芸術と無限」として結実した。
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Research Products
(11 results)