Research Abstract |
モンゴルの古都カラコルムは,第2代カーンであるオゴデイによって13世紀中葉に建設され,中都・大都の建設以前は首都として機能し,大元ウルスにおける政治・経済の中心地でもあった。しかし,1380年代に明軍の侵入によって,壊滅的に破壊され,すべてが灰燼に帰した。 この遺跡の調査は,1948-49年にロシア科学アカデミーによって行われ,わが国も1990年代にユネスコとの共同事業により,遺跡の保全に貢献したが,その後,ドイツ・ボン大学が調査をしている。ロシア科学アカデミーによる発掘調査によって出土した陶瓷器は,同機関から報告書として刊行され(1960年),遺物は,モンゴル国立歴史博物館,モンゴル国立考古学研究所などに保管されている。しかし,この報告書の陶瓷器に関する記載は不十分であり,遺漏が多く,モンゴルの研究者は再整理を要望する声が強かったので,18年度に,専修大学文学部アジア考古学チームと同博物館(館長Ochir.A氏)の共同調査の形で実施した。 博物館が保管している全てのカラコルム出土陶瓷器,約250件について,実測・撮影・調書の作成を実施した。その結果,景徳鎮窯・竜泉窯・磁州彭城窯などから陶瓷器が運ばれているが,時代的には14世紀前半から中葉に限定され,しかも,補修孔をもつ陶瓷器がかなりみられた。すなわち,従来説明されているように,陶瓷器が創建時から常時大量にこの地に運搬されていたのではなく,限定された期間に,陶磁器が断続的に運ばれ,補修して大切に使用されていたことが判明した。 19年度以降も,他機関保管の陶瓷器について調査を継続する。
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