2007 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
18520049
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Research Institution | Ryukoku University |
Principal Investigator |
鍋島 直樹 Ryukoku University, 法学部, 教授 (90198375)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
内藤 知康 龍谷大学, 文学部, 教授 (60247814)
杉岡 孝紀 龍谷大学, 文学部, 准教授 (70298727)
岡田 康伸 京都文教大学, 人間学部, 教授 (90068768)
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Keywords | 仏教学 / 親鶯理想 / 人間観 / 無我 / 自我 / 他力 / 愚者の自覚 / 柔らかい人格 |
Research Abstract |
心理療法も仏教も、ある種の自我観念に囚われている状態を柔軟にすることをめざし、現実の苦しみのなかでフレキシブルに生きられるように支援する。心理療法家は相手に黙ってそばに寄り添い人間の苦悩の深層と変容過渡を見守り、仏教者は人間の苦悩を聞き根源的救済を示す点に特質がある。仏教から心理療法を見ると、人が人を支える治療的態度から、箱庭療法の砂に象徴されるように、自己を超えた自然や仏にクライエントも聞き手も支えられているという深いつながりに気づかされる。仏教人間観は、人が生きとし生けるものとのつながりのなかで生かされていると省察する。無我とは、宇宙と自己との一体感、無差別の知見を意味する。それは宮沢賢治が「銀河系を自らの中に意識して、これに応じていくことである」と明かした知見である。自己と相手を分析し、操作する方向から、相互に関係し、深く聞く方向に転じる必要がある。親鶯は、自力で煩悩を除去して悟れないと内省し、自己の煩悩を偽らずに見据え、苦悩する自己がそのまま仏の慈悲に抱かれていることを自覚した。人は、仏の摂取不捨の慈愛に包まれて自らの愚かさを知り、謙虚に生き、死を迎えた時、浄土に往生して仏と成る。浄土に生まれた後は、還相摂化の菩薩となって人々を苦しみから救うために穢土に還ってくる。迷いから悟りへ往き、悟りから迷いへ還ってくるという、自利利他の幸福を願って生きることが人の存在意味となる。人々が惑いの多い凡夫として相互に理解し合い、先輩と後輩が死を超えて、師弟となって導きあうところに、仏教のめざす理想がある。本来の無我とは、自我を否定するものではなく、現実の自我をもそのままに含みながら、先入観を離「れた自由で柔らかい人格になることである。眼には見えない大いなる働き、他力に全てゆだねる信じ方は大地に支えられているような安心感である。深い傾聴は、審判を加えずにそばに寄り添う慈悲である。
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