2008 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
18520590
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Research Institution | Komazawa University |
Principal Investigator |
酒井 清治 Komazawa University, 文学部, 教授 (80296821)
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Keywords | 考古学 / 古墳時代 / 手工業生産 / 須恵器生産 / 流通 / 群馬県 / 金山丘陵窯跡群 / 菅ノ沢窯跡群 |
Research Abstract |
菅ノ沢遺跡の整理作業は古墳時代須恵器窯跡群だけを行っていたが、同時に発掘調査した同じ遺跡内にある古墳群や巖穴山古墳群が須恵器の操業に関連し、工人や工人を掌握した首長層と関わるのではないかと考え、整理作業を行うことにした。 須恵器窯跡は近接して築窯するのが金山窯跡群の特色のようである。菅ノ沢窯跡では操業した窯が7基、未操業の窯が6基であった。未操業の窯が見つかったことにより、どのように窯を築窯したのか判明した。この地域の地盤である金山流紋岩類に掘り抜き式で窯を築いたようで、固い岩盤に当たり、また、岩盤の上に堆積した危弱な層に築窯したため失敗したようである。操業した窯は、榛名山二ツ岳に起因する火山灰層(FPと想定)降下後に築窯しており、6世紀後半から末にかけての短い時間に稼働していたようである。同一遺跡内にある古墳群は7世紀であり、巖穴山古墳は7世紀中葉頃と考えられる。巖穴山古墳から出土する須恵器は菅ノ沢窯跡の製品ではないが、金山丘陵窯跡群の製品であることから、この古墳の被葬者が須恵器生産に関わっていたと想定される。 この窯跡群で生産された製品は、太田市周辺だけではなく、群馬県内に広く供給され、高崎・藤岡地域の窯跡群の製品とともに「北関東型須恵器」といえる特色を持っていることは、群馬に須恵器を導入した首長層が、県内のいくつかの地域に須恵器技術を移植したことが考えられる。東国の一大生産地となった群馬であったため、大甕を例にとるならば補強帯を持つ特色ある製品が、栃木・埼玉・神奈川・茨城・千葉に伝播し生産が行われたのであろう。その後さらに福島・宮城までその技術は広がっていったのは、畿内の東北経営に関わった群馬の首長層の動静と関わりがあると考えられる。
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Research Products
(4 results)