2007 Fiscal Year Annual Research Report
20世紀前半のカナダ西岸のサケ缶詰産業における日系漁民と他民族との比較研究
Project/Area Number |
18520613
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Research Institution | Ritsumeikan University |
Principal Investigator |
河原 典史 Ritsumeikan University, 文学部, 准教授 (60278489)
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Keywords | カナダ / 日系人 / 移住 / 漁業 / 缶詰工場 / 火災保険地図 |
Research Abstract |
Plans of Salmon Canneries in British Columbia together with Inspection Reports on Each(BC州サケ缶詰工場地図集成)は、1923年にカナダ西岸で調査された72ケ所の缶詰工場(キャナリー)の火災保険地図とその解説からなる。1880年代には、わずか3ケ所のキャナリーが開設されたにすぎないが、90年代以降になると、4・5年ごとに大量に発生するサケの遡上を鑑みて激増する。この要因として、サケ缶詰産業は軍需と密接するため、世界的な大戦の勃発をめぐる社会・経済的な背景が指摘される。キャナリーには、経営者であるイギリス系のもと、先住民であるインディアンだけでなく、多くの中国人・日本人移民も缶詰製造やその材料となるサケ類の漁獲に従事していた。日本人は全体の63.8%にあたる44ケ所のキャナリーで雇用されていたが、彼らだけを雇用するキャナリーはなく、ほとんどではインディアンや中国人とともに従事していた。 フレーザー川北流沿岸のヴァンクーヴァー・キャナリーでは、缶詰工場の北側にインディアン・中国人、東側には日本人居住区があった。インディアンの居住施設名は Indian Hut (小屋)、中国人はChinese Bunk(寝台舎)であるのに対し、日本人のそれはJapanese Cabin(簡易住居)と表記・呼称されていた。日本人居住区には、Net House(網小屋)や Shed (小屋)のほか、漁船や運搬船の新造・修理を担うBoat Builder(造船所)が確認できる。多くのキャナリーには、日本人を中心とする船大工が雇用されていたのである。さらに、Billiard(ビリヤード場)、やノース・アーム国民学校が設置されていた。
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Research Products
(4 results)