2009 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
18530269
|
Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
本野 英一 Waseda University, 政治経済学術院, 教授 (20183973)
|
Keywords | 商標盗用 / 商標模造 / 明治32年商標法 / 中国ナショナリズム / 中国商標法(1923年) / 日中関係 / 華僑 |
Research Abstract |
本年度の研究によって明らかになったことは、この問題をめぐる当時の状況が、現在のそれとは全く異なっていたことである。その最大の理由は、中国企業と提携して、在華欧米企業の製品を模造した関西の日本人製造業者の存在にある。 1890年代に中国市場に本格的な製品輸出を開始した日本企業は、その主たる製品が、安価な技術で模倣が可能であった軽工業・雑貨品であったため、在華欧米企業にもまして、中国企業による商標盗用、模造行為の標的となった。さらに、この問題をめぐる清朝政府官僚との交渉を担当した日本外交官の不手際から、中国企業による商標模造を事実上黙認したこともあって、日本企業は、「二十一ヶ条要求」をきっかけとする日貨排斥運動が起こるまで、中国側の商標権侵害行為に苦しめられることになった。しかし、その一方で、彼らは自分たちの製品を公然と中国市場で販売困難になったことから、在華欧米企業製品の商標を盗用、模造した製品を中国商人と結託して販売するようになっていた。当初この行為をもちかけていたのは、関西在住華僑であったが、日貨排斥運動の高揚に伴い、逆に日本側がこの事業の主導権を握り、西洋企業製品の商標と見まがう製品を、華僑、中国商人と結託して販売するようになっていた。 これを取り締まるための、商標法は、その原則を、ヨーロッパ大陸法ゆかりの先登録優先主義にするか、英米法独自の先使用主義にするかで、決着がつかず、困り果てた北洋軍閥政府が折衷案的な案を制定したのが、1923年商標法だったのである。だが、この法律が制定施行される時と合わせて勃発した、国民政府の北伐によって、その実施は、さらに1927年以降にもちこされることになった。本年の研究成果は、ここまでである。
|
Research Products
(2 results)