Research Abstract |
増田淳が昭和初期に設計した鋼橋図面,設計計算書のうち,現存橋梁で予定した6橋に1橋を追加し全7橋((1)十三大橋,(2)41D他2橋,(3)美々津橋,(4)荒川橋,(5)尾張大橋,(6)伊勢大橋,(7)常願寺川水路橋)について分析を行った.分析方法としては,図面,計算書の構城,準拠基準,設計方法,図面表現方法を現在の表現方法と対比し,あるいは現橋調査による現橋との対比によって実施した(継続中).この過程で図面,設計計算書のデジタル化処理を行った(図面:Zooma,設計計算書:PDF).これらは最終成果の一部として含めるものである.一方,7橋の図面,計算書の分析結果と対比をするために,同時代の海外事例としてイギリスにおける20世紀初頭の鋼橋に関する図面,製図法などに関する調査を行った(2006.8.7-11,イギリス土木学会アーカイブ,およびロンドンギルドホール図書館図面部門).昭和初期の鋼橋図面,設計計算法は欧米の影響を色濃く受けつつも,技術が確立されつつあることが分かった. なお,増田淳の設計した橋梁の背景として歴史的鋼橋の図面,設計計算書などに関し約300の関係機関を対象として保管状況に関する調査を実施した(2007.1,アンケート調査). 今後の研究の展開としては,増田淳が設計した7橋の分析をさらに継続するとともに,欧米の鋼橋の図面との対比も実施する.この過程で同時代の海外図面についての調査をさらに追加をする可能性がある.また,アンケート調査の回答の整理・分析を行い,その結果を踏まえて国内主要機関(道路橋1,2箇所,鉄道橋1箇所)における鋼橋図面,計算書などの実地調査を行う. 以上より昭和初期におけるわが国の橋梁実務技術の特徴を英米の影響を含めて考察を行い,土木図面が特定の構造物の土木行為の情報提供の役割を越え鋼橋技術全般の史料性をもつことを明らかにする.
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