2006 Fiscal Year Annual Research Report
近代ドイツにおけるサッカークラブの形成過程に関する研究
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18700502
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Research Institution | Hirosaki University |
Principal Investigator |
釜崎 太 弘前大学, 教育学部, 講師 (00366808)
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Keywords | ドイツサッカークラブ / ドイツ体操クラブ / 「ドイツ体操-スポーツ」抗争 / ブラオンシュヴァイク / コンラート・コッホ |
Research Abstract |
本研究の目的は、19世紀ドイツにおけるサッカークラブの形成過程について明らかにすることである。近代ドイツにおけるサッカーの受容は、学校のクラブを中心に開始され、その後、地域のクラブへと拡大していくが、その過程において、自国文化であるドイツ体操とイギリス文化としてのスポーツのあいだで激しい抗争が展開されている。 平成18年度においては、ドイツ体操クラブの形成過程について分析した。ドイツ体操は、19世紀初頭、汎愛学校のギムナジウムを基盤としながら、市民的価値観(自由・平等)を包摂するかたちでヤーンによって考案された。ヤーンのドイツ体操は、学校のクラブを中心に誕生するが、体操祭や競技会の開催を契機としながら、地域のドイツ体操クラブの形成・発展を促していく。48年革命の後の反動体制のもと、市民的価値観を含んだドイツ体操は、シュピース式の軍事主義的なドリル訓練に取ってかわられるが、ヤーン式のドイツ体操が完全に消滅したというわけではなく、両者は補完的に、「自己規律化」の機能を発揮することで「大衆の国民化」を果たすことになる。このドイツ体操の訴求力が弱まり始める19世紀の中葉に、イギリスからスポーツが伝播してくるが、そのスポーツをいち早く受容したブラオンシュヴァイク地方においても、当時のドイツ体操は、一方ではシュピース式のドリル訓練を中心としながら、他方では荒れた学生たちの組合活動の一部として展開されていた。スポーツを排除しようとするドイツ体操家たちの批判に直面しながらも、学校のクラブ活動のなかにサッカーを位置づけ、軍事訓練的なドイツ体操と学生組合の改革に着手したのがブラオンシュヴァイクの高校教師コンラート・コッホであった。平成19年度は、ドイツ体操クラブに関する研究成果を公表すると同時に、コッホの「スポーツ教育」論とブラオンシュヴァイク地方におけるサッカークラブの形成過程を分析の中心とする。
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