2007 Fiscal Year Annual Research Report
近代ドイツにおけるサッカークラブの形成過程に関する研究
Project/Area Number |
18700502
|
Research Institution | Hirosaki University |
Principal Investigator |
釜崎 太 Hirosaki University, 教育学部, 准教授 (00366808)
|
Keywords | ドイツサッカークラブ / 遊戯運動 / ドイツ体操=スポーツ抗争 / コンラート・コッホ / ブラオンシュヴァイク |
Research Abstract |
本研究の目的は、19世紀ドイツにおけるサッカークラブの形成過程について明らかにすることである。近代ドイツにおけるサッカーの受容は、学校のクラブを中心に開始され、その後、地域のクラブへと拡大していくという一面をもっていたが、その過程において自国文化であるドイツ体操とイギリス文化としてのスポーツのあいだで激しい抗争が展開されている。 平成19年度においては、サッカーというイギリスの文化が学校を基点としながらドイツ国内に定着していく過程を、特にブラオンシュヴァイク地方のマルチノカタリニウム・ギムナジウムを中心に分析した。マルチノカタリニウム・ギムナジウムにサッカーが導入される際に、その中心的な役割を果たしたコンラート・コッホの論文「学校遊戯の教育的価値」(1878年)をみると、当時すでに「ドイツ体操=スポーツ」抗争と呼ばれうる論争があったこと、さらにコッホらが教師と生徒の濃密な関わり合いのなかで新しい共同性を紡ごうとしていたこと、などが理解される。彼らが極めて市民的な「下から」の共同性の構築を目指していたという意味において、そこには排外主義的な国家主義に傾倒していたドイツ体操家(1876年の第8回ドイツ体操教師会議において「国家主義」的な立場からコッホらの遊戯運動は批判されている)やドイツの中心的な体育組織とは異なる可能性がはらまれていたと言える。しかしながら、その一方で、学外にサッカークラブ(Verein)が数多く設立されるようになる1890年代には、コッホらの活動も国家主義的な傾向をおびている。この市民的運動から国家主義の萌芽への推移をたどりながら、学外でのサッカークラブの形成過程を探求することが次年度の課題となる。
|