2008 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
18720025
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Research Institution | Tokyo Institute of Technology |
Principal Investigator |
高岸 輝 Tokyo Institute of Technology, 大学院・社会理工学研究科, 准教授 (80416263)
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Keywords | 美術史 / 日本史 / 絵巻 / 室町時代 |
Research Abstract |
応仁の乱後、およそ半世紀にわたって絵所預の座を占め続けた土佐光信は、天皇家、足利将軍家周辺で活動したが、その絵画史上の重要性のひとつとして、新たな「風景画」を創出したことがある。明応4年(1495)に光信が描いた「槻峯寺建立修行縁起絵巻」(フリーア美術館蔵)上巻第一段には、後に月峯寺(槻峯寺)が建立されることになる剣尾山の山容が描かれている。これを大阪府能勢町の現地景観と比較したとき、稜線の輪郭、山襞の重なりから遠近感の表出にいたるまで、ぴったりと合致することが判明し、現地でのスケッチという、これまでの絵画にはない新たな手法が用いられていることが理解できる。同絵巻の注文主は、摂津・丹波の守護・細川政元と考えられるが、両国の境界にある剣尾山は修験の霊地であり、修験に傾倒した政元は領国支配の安定を祈念して絵巻を制作奉納したと推測される。支配地の霊峰を「リアル」に描くことが、絵巻に修験の霊力を取り込むことを可能にした。光信はこの絵巻制作の11年後、永正3年(1506)、「京中」を主題とする屏風一双を描いたことが『実隆公記』12月22日条に「甘露寺中納言来、越前朝倉屏風新調、一双画京中、土左刑部大輔新図、尤珍重之物也、一見有興、」と見える。これは越前朝倉氏のために新調されたもので、「洛中洛外図屏風」の原型と目される。当時最高の文化人であった実隆が「一見有興」高く評価するこの屏風は、現地でスケッチを行って風景を描くという「槻峯寺建立修行縁起絵巻」で示された光信の新たな視覚表現を、応仁の乱から復興過程にあった京都に応用したものと推測される。
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Research Products
(4 results)