2006 Fiscal Year Annual Research Report
仏教美術における供養者像-北魏から初唐にかけての図像的変化を中心に-
Project/Area Number |
18720032
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
小野 佳代 早稲田大学, 文学学術院, 助手 (60386563)
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Keywords | 仏教美術 / 供養者像 / 柄香炉 / 跪 |
Research Abstract |
本研究は、中国の北魏から初唐に至るまでに‘供養者像の姿'が劇的に変化したことに着目し、この変化が具体的にいつの時点で生じたのかを図像学的に解明するとともに、その歴史的背景を文献史学の視点から明らかにしようとするものである。 本年度は中国の龍門石窟の北魏から唐代の供養者像を中心に、供養者の図像について検討を行った。その結果、北朝の作例では、柄香炉を持った僧尼を先頭にして、その後ろに俗形の供養者たちが参列する図(立像形式)が極めて多く、これが北朝でもっとも盛行した供養者像であった。しかし唐代になると、北朝の供養者像に顕著だった僧尼の姿が消え、俗人供養者のみで構成された供養者像が増加する。しかも彼ら俗人たちは本尊の前に積極的に跪き(坐像形式)、自ら柄香炉などの供物を手に執り、または合掌して本尊に祈りを捧げる姿で表現されるようになる。つまり唐代に流行した供養者像は、インド由来の「脆く」姿勢の供養者像だったのである。 柄香炉とは、主に"祈願"する時に使用する供養の具である。北朝の作例では「僧尼」が柄香炉を持っているが、唐代の作例では「俗人供養者」が柄香炉を持っていることが多い。この柄香炉の持ち手の変化は、供養の際の「祈り手」の変化を意味しており、つまり唐代の俗人たちは、北朝の頃のように僧尼を必要とせずとも、本尊の前で自ら供養し、祈願を行うようになつたと考えられる。 以上、北朝から唐代にかけて供養者の図像は、僧尼を先頭に俗人供養者たちが参列する「立像」形式のものから、俗人供養者たちが自ら跪く「坐像」形式へと大きく変化していった。その変化の生じた時期については地域差がみられ、南響堂山石窟では北斉から階代に、すでに脆く供養者像が流行し始めていた。しかし中国で脆く供養者像が広く流行するのは初唐代からで、この理由については来年度以降も引き続き調査していく予定である。
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