2006 Fiscal Year Annual Research Report
学校と地域の関係性の変容:インドネシアバリ州美術高校の誕生と死を描く学校誌
Project/Area Number |
18730529
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Research Institution | Daito Bunka University |
Principal Investigator |
田尻 敦子 大東文化大学, 文学部, 講師 (00327991)
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Keywords | 状況的学習論 / インドネシアバリ / 学校と地域 / 二重教育システム(PSG) / 美術高校(SMK / SMSR) / 美術教育 / イ・クトゥット・ブディアナ / 芸術・文化・伝統の創造 |
Research Abstract |
インドネシアのバリ州の美術高校の設立から、隆盛、衰退に至る過程を、地域との関係性から探ることを試みた。インドネシアには、フォーマルな学校費目とノンフォーマルな地域における協力の協働的な関係性を活性化するカリキュラムが存在する。二重教育システム(ペンディデカン・システム・カンダ:PSG)と呼ばれる実践が行われている。例えば、専門高校(SMK)から、数ヶ月の実践の現場マガン(Magan)へ派遣せれるカリキュラムが存在する。 学校と地域との協働的な関係性は、学校の誕生の時点から育まれてきた。例えば、美術高校ウブドゥ校は、地域の画家達が次世代の若者達を育てる場氏として構想した。生徒達は、祝祭や寺院の装飾、彫刻、建築などを手伝い、学ぶ実践が行われてきた。また、バリ島に長期滞在する欧米人画家から学び、観光客とコミュニケーションをし、美術館で展覧会を開き、コンセプトを説明することも地域で学習される。こうした展覧会などで絵を販売し、学費や画材を得て、芸術大学に進学した生徒達もいる。現在、藝術学院(ISI)デンパサール校の教員の多くは、美術高校出身である。 美術高校デンパサール校は、オランダと日本の教育を受け、インドネシア国家独立直後に芸術学院ジョクジャカルタ校で教育を受けた美術教市達が設立した。初代校長のカジェン女史は、当時の州知事であるイダ・バグース・マントラ氏の協力のもと、リスティピアと呼ばれる文化芸術育成審議会の実質的リーダーのワヤン・カヨ氏と共に美術高校を設立した。マントラ氏はオランダの小学校時代からの友人であり、カヨ氏はジョクカルタ芸術アカデミー時代の同窓生である。カヨ氏は、民族覚醒の学校として知られるタマン・シスワ学校でも教師をしていた。カジェン女史は、独立戦争では赤十字のスタッフとして働き、秘密文書も運んだという。芸術学院時代は、国民文化生成の気風あふれるジョクジャカルタの芸術家達と交流している。オランダ語、日本語が堪能で、学生交流フログラムで共産圏を旅し、ロシア語や中国語も話すことができたという。初代生徒は、7人で、アートセンター長、美術高校校長、バリ州教育文化長官、バリ州文化庁長官を歴任するニコナヨ氏、国際的芸術家のマデ・ウィアンタ氏、ワヤン・シカ氏、スダラ・レンパッド氏などを輩出している。美術高校はバリ美術界の構成要素の重鎮を輩出する場となってきた。 バリ島の芸術は、1920年代から1930年代に滞在した欧米人芸術家や文化人類学者のまなざしのもとで生成された「創られた伝統」であるという言説が存在する。しかし、それだけでなく、オランダと日本とインドネシアの三つの国家に教育を受け、民族覚醒の意識も抱く新しき教師達がその創造に関わったということが明らかになった。
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Research Products
(1 results)