2021 Fiscal Year Research-status Report
余暇学に対するアリストテレスのスコレー概念の寄与について
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18K00015
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Research Institution | Kagawa University |
Principal Investigator |
齊藤 和也 香川大学, 経済学部, 名誉教授 (20153794)
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Project Period (FY) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | スコレー |
Outline of Annual Research Achievements |
レジャー概念に関する哲学的な研究はそれほど多くはないが、21世紀に入って一定の研究成果が蓄積されてきた。その中で、A. HolbaやT. Blackshawの研究は注目に値する。前者はコミュニケーション論的観点から哲学的レジャー概念を探求し、後者は、21世紀の消費社会における生き方の観点からレジャー概念を探求している。 戦後のレジャー研究に大きな影響を与えた J. ピーパーはアリストテレスを導きの糸とした。アリストテレスにおいて閑暇は神聖なものの認識活動(観想)に存する。カトリック思想家ピーパーにおいては、これは祈りの祝祭(礼拝)における黙想(silence)である。だが、アリストテレスにおいては、ポリス挙げての真剣な神事や神に奉納される競技や競演も閑暇の活動であり、閑暇は個人に留まるものではなく、共同体的な広がりを持つ。 このような閑暇の概念は現在のレジャー哲学にも登場している。J. Bouwer とM. van Leeuwenは、Blackshawの理論に刺激を受け、ポストモダンにおけるレジャーの意味を問う書を出版し、その中で、アリストテレスのスコレー概念を援用している。彼らはポストモダンの時代状況(液状化社会)に対応するレジャー哲学を構築しようとしているが、根無し草にされた人々が国家なり市場なりに再帰的に回収されていくプロセスの中で、個人として自己実現を図るための主要な場としてレジャーを捉える。レジャーを通じてその都度の新しい共同関係を構築しつつ、その中で個人の体験と身体性を基盤とした幸福を作り出すことが可能だとする。これは、現代の加速化した狂乱的消費社会に対抗する理念でもある。そのためには、快楽主義的な幸福概念ではなく、自己実現と卓越性を核とするアリストテレスのエウダイモニア概念が必要であるとする。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究は、アリストテレスの閑暇概念が現代のレジャー哲学に対してどのような寄与をしているかを確かめようとするものである。まず、その概念が、個人的かつ社会的な性格を持ち、両性格は高貴で神聖なるものを目的とするという収斂点を持つことを明らかにした。(拙論「閑暇における共歓」『香川大學經濟論叢』92-3, 2019)次に、現代のレジャー哲学の一つの到達点とみられる研究書を検討した。その書の注目すべき特徴は、レジャーを、幸福を実現するための生の技法として捉えるという視点である。レジャーは、液状化社会における再帰的に個人化した人々がよりよい生活様式を共に創造し、社会的改善と個人の幸福を実現するためのツールである。また、レジャー実践の一部に見られる「聖なるもの」への志向は、人間の最良状態としての幸福を目指している。これは人生における「重要なもの」(人生の目的)であって、生の技法としてのレジャーが目指すものである。レジャー実践が神聖なるものを目指すという視点は、戦後の復興期においてドイツの神学者ピーパーが唱えた観想(神聖なものの認識状態)としてのレジャー概念の捉えなおしである。楽しみの活動としてのレジャー実践の中に、それに留まらない超越的なものへの志向が含まれているという認識が現代のレジャー実践の研究の中から生まれていることが確かめられた。(拙論「レジャーの哲学について」『香川大學經濟論叢』94-4,2022) 戦後のある時期から始まったレジャー哲学の流れを振り返ると、ピーパーが唱えた観想としてのスコレー概念とデュマズディエが提示した自己実現としてのレジャー概念とが、現代のレジャー哲学におけるアリストテレス受容への道を準備していたとも考えられる。
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Strategy for Future Research Activity |
本年度はHolbaの哲学的レジャー概念の検討を行う。Holbaは、コミュニケーション論や解釈学の成果を取り入れて救済としての哲学的レジャーという概念を提出したが、狙いはよいとしても、理論的な解明においては不十分な箇所が多い。特に、個人の精神の生活に関する考察が不十分である。この点に関してはアーレントを読み込む必要がある。アーレントは『人間の条件』において、言論と行為を通じて自己を表現する公的世界を設定したが、『精神の世界』においては、いったん公的世界から退いたところに思考的世界を設定して、公的世界と私的世界との相互的関係としての人間的世界を構想した。Holbaの提起を深化させることによって、アリストテレスやピーパーの唱える神聖な次元とアーレントが示した人間的世界とをつなぐ回廊として、精神の閑暇という概念を再定義する必要がある。
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Causes of Carryover |
残金は端数であり、物品購入に充てる。
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