2021 Fiscal Year Research-status Report
天平彫刻における造形的共通規範とその運用に関する研究
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18K00195
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Research Institution | Kyoto Tachibana University |
Principal Investigator |
小林 裕子 京都橘大学, 文学部, 教授 (30409601)
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Project Period (FY) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 造寺司 / 仏像 / 奈良時代 / 造仏工 / 下図 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、奈良時代の寺院造営を担う役所であった造寺司の下位組織「官営造仏所」に仏像制作の造形的共通規範が存在したことを明らかにするものである。研究遂行にあたって当初、1仏像各箇所法量の写真計測、2造形的共通規範の検討、3工人が制作した下図(したず)を明らかにする、4 文献にみえる造仏記事から下図(したず)とマネージメント面を考察する、5東アジア各地の作例検討、6発表、と進める予定であった。しかし1年目の平成三十年度(2018)は既取得スキャン画像整理、新たな画像スキャン、国内での仏像撮影、2年目は画像加工と文献収集整理、国内データ取得、3年目は対象物のかきおこし図作成及び法量計測のためのソフト「Kuraves-MD」(倉敷紡績)を導入した。本研究は平成三十年度に始まったが、海外調査を予定していた令和元年度末(2020)から令和二年にかけて世界的なコロナの流行による渡航不能になり、中国での資料取得ができなくなった。 こうしたなかで令和三年は延長措置をいただき、報告者は正倉院文書にみえる造寺司関係の記事の精査と先行研究の確認を重ね、本研究における「4 文献にみえる造仏記事から下図(したず)とマネージメント面を考察する」の部分を充実させることに専念した。それに加えて別研究で滞在したエジプトで、神殿や墓室にみえる下絵の画像を収集した。以上、牛歩ながら本来の研究目的を完遂させるべく作業を重ねている。そもそも本研究は、古代寺院がいかに多角的総合的に造営されていたのか解明するための核である全体設計部分を検討するものである。寺院造営を類推できる文献である資財帳や写経所、造仏所、造寺司関係の書類には細かいところまでは記載されておらず、現存する材料から理解していくほかない。海外現地調査に行けなかった一方で、令和三年度は落ち着いて文献確認に時間を費やせたかと思う。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
本研究のプロセスとして挙げている6項目それぞれについて以下進捗状況を記す。(1) 仏像各箇所法量の写真計測…国内の仏像においては『奈良六大寺大観』(岩波書店)、『日本彫刻史基礎資料集成』(中央公論美術出版)、さらに各種報告書記載の数値をもとに「Kuraves-MD」(倉敷紡績)での写真計測。研究資料と想定していた作例については完了。(2) 造形的共通規範の検討…現在検討中。(3) 工人が制作した下図(したず)を明らかにする…現在検討中。(4) 文献にみえる造仏記事から下図(したず)とマネージメント面を考察する…正倉院文書と先行研究によって作業。確認したい部分については完了。(5) 東アジア各地の作例検討…図版を使用した写真計測。残念ながら現地調査にも行けず、公表されている法量数値が少ないことから作業が遅れている。ただし国内に現存する中国の作例のうち本研究で資料としたいものについては作業を完了し、AdobeIllustratorでのかきおこし図も作成済み。(6) 発表…現在検討中。 令和三年度は延長措置をみとめていただいたことから、入手済みの資料の整理と充実をはかってきた。さらにエジプト調査で得られた数千枚の画像とその分析も進めている。のこる作業は成果公開のための提示用データ作成と論文執筆である。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究が仏像制作における下図(したず)に注目しているのは、その先に寺院造営そのものを俯瞰的にとらえるとの目標があるからである。たとえば法隆寺金堂では、本来であれば丈六仏(丈六とは釈迦の身長一丈六尺に基づく寺院の本尊級の像高。坐像は半分の八尺)を安置する規模の空間に、像高87.5センチの小像を安置すべく大型の台座を積み重ね、台座の幅とほぼ一致する天蓋を吊し、壁画が仏像周囲を彩るよう柱や長押を調整し、壁を設けるべき内陣北側を吹き抜けにした。法隆寺では、建築より先に存在していた仏像を安置するためにさまざまな演出がなされたが、奈良時代の技術者は本尊の像高が丈六といった不変の約束事のなかで、各寺院をいかに豪華な空間にみせるか工夫を凝らしたに違いない。7世紀から寺院がさかんに造営されたが、本尊は共通する丈六であるのに建築規模はさまざまである。本尊がいかなる教義上の「ほとけ」であり、いかほどの脇侍、従者を必要とし、いかほどの荘厳具を必要とするかによって変わってくる。すなわち、建築計画段階で何体の仏像をどのように安置するかわかっていたからこそ設計図を作成できるのである。 古代の文献をみると、一堂宇に安置する仏像の数やある程度の荘厳具は列挙されているが、仏像の詳細については高さしか記載されないばかりか、その高さもどこからどこまで測ったものなのかがわからない。そこでまず本研究では、核となる仏像がいかに空間に据えられたかを下図(したず)の面からとらえようとしているのである。現在、情報量の少ない時代から平安時代以降の木彫全盛期に目を向け、また建築と安置対象の関係性を明らかにした先行研究の積み重ねが豊富なエジプトなど海外の事例にも触れながら本研究のまとめ段階に入ったところである。海外調査に出られなくとも、国内で得られる情報を丁寧に整理しながら本研究の成果をまとめていく所存である。
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Causes of Carryover |
研究成果公表費用として一部執行を保留にしていたため。
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