2021 Fiscal Year Research-status Report
Narratives of Scotland in printed and pre-print English Chronicles
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18K00428
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Research Institution | Kyorin University |
Principal Investigator |
高木 眞佐子 杏林大学, 外国語学部, 教授 (60348620)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
張替 涼子 東京理科大学, 理学部第一部教養学科, 講師 (70778175)
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Project Period (FY) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | John Hardyng / 年代記 / スコットランド / イングランド / Antony Bek / Umfraville |
Outline of Annual Research Achievements |
John Hardyngは、年代記の中でスコットランドは長い年月イングランドに臣従していると、しばしば繰り返している。今年度はハーディングが国王の命を受けて探した文書の入手過程を精査することで、Sir Robert Umfravilleとその先祖が、ハーディングの重要な情報源となっていた可能性を示すことができた。背景にはダラム教区が13世紀に占めていた特異な状況が関係する。 ハーディングが年代記を執筆していたリンカーンシャーは、13世紀から14世紀にかけてダラム司教だったAntony Bek(c.1245-1311)のお膝元であり、Bek家とUmfraville家には婚姻を通じた関係があった。さらに、Antony Bekは1291年にNorhamで行われた「大訴訟(The Great Cause)」をとり行い、イングランドのエドワード1世に便宜を図った人物であり、同時にスコットランド側にも懐柔策を打った人物として知られる。当時「大訴訟」の過程では、スコットランドがイングランドに臣従していることを示す歴史文書が大々的に探された。Umfraville家では、14世紀にこの種の偽造文書がHardyngの生まれる前にも制作されていた。これは、スコットランド臣従に関してイングランドに都合の良い文書がAntony Bekの後継者の間で作成された可能性を示している。ダラム教区はとりわけAntony Bekの時代には、強大な権勢を誇っていた。すなわち、文書作成や秘密の管理において、Bek時代のダラム教区は極めて有利な立場に立っていたことが推察できる。 ゆえに、John HardyngはBek家と姻戚関係にあるUmfraville家から直接の情報収集をすることにより、スコットランド臣従に関する文書の詳細を知ることができただろう。そうした環境が年代記執筆の動機の一部であった可能性も高い。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
主君であるUmfraville家への忠誠を年代記の中で何度も示しているのが、John Hardyngの特徴である。今回、Umfraville家の特別な秘密をHardyngが知っていた可能性が高まったことで、年代記の執筆動機についての理解は飛躍的に進んだと考えている。 さらに、共同研究者がスコットランドの年代記を精査する中で、Planta Genesta伝説、つまりプランタジンネット王家の成り立ちを示す伝説が重要なモチーフとなっていることを突き止めた。王家のそもそもの成り立ちを示す重要な伝説であることから、この伝説がスコットランドで伝えられていたことは、スコットランドとイングランドの力学を考える上で極めて重要である。ハーディングがこうした伝説のせめぎ合いの中で、Kennedyが述べるようにアーサー王の騎士ガラハットの心臓についての記述を残した可能性もある。 これまでの研究経過から、スコットランドとイングランドの地政学的な側面、そしてノルマン貴族の力が進捗するにつれて両国で情報戦が入り乱れたことが明らかになってきている。中でも重要なのは、スコットランドとイングランド国境付近、つまりHardyngが戦いに明け暮れた地域は際だって情報の錯綜する傾向が強い地域だと判明してきたことである。 上記の状況を踏まえることで、Hardyngの年代記の捕らえられ方が従来と変化する可能性は高い。本年度は最後の年になることから、年代記の本文に立ち戻り、Hardyngの目からSir Robert Umfravilleとスコットランドとの関係が、どう描写されているのかを精査したいと考えている。
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Strategy for Future Research Activity |
本課題は元々、Hardyngの年代記とキャクストンの『イングランド年代記』、そしてスコットランドの年代記とを比較するというテーマであった。これまで、アーサー王の事績についての記述の扱いや、ハーディングによる偽造文書の入手経過、そしてプランタジネット伝説の問題点などの諸問題を扱ってきた。最終年度となる今年は基本に立ち返り、John Hardyngの年代記は、イングランド系の他の年代記に比べてどのような点が際だって異なり重要なのか、というより本質的な問題に焦点を当てたいと考えている。 とりわけ、Hardyngが印刷家ウィリアム・キャクストンの印刷物に与えた影響に注目していく。なぜならキャクストンはアーサー王伝説、そして年代記という、両方ともHardyngの影響が感じられる書物を出版しているからである。キャクストンが1480年に出版した年代記はヨーク側から見たランカスターとの党派抗争という側面がしばしば取りざたされるが、対スコットランドについてはどのような記述が見られ、またそれはハーディングの語るスコットランド理解とどのように重なる面があるのだろうか。あるいは両者は別々に成立していて相互の関連は見られないのだろうか。 今年度研究代表者は、1400年代に入ってからの後半の記述について、ハーディングとキャクストンの本文比較に挑みたい。そして、そこから得られる結果に対して上述した立場からの分析を行っていきたいと考えている。これを研究分担者が、スコットランドの年代記の立場から、何をイングランドとの対立軸として強調したのかを明らかにしていく予定である。年代記を通じて、15世紀のイングランドースコットランド抗争の見せた一側面について明らかにしたい。
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Causes of Carryover |
使用額が生じた理由は、研究を遂行するためのこれまでのデータが不充分だったからである。次年度は、本文を比較するためのデータを充分に揃えるため、資料をアーカイヴ化することで不具合を解消したい。そのためのストック場所として、新たなデータ管理のための記録装置が必要である。また、研究分担者と充分なコミュニケーションを取りデータのやりとりをするための研究環境が必要となる。データの分量が膨大となるため、従来よりも効率的な運用方法を確立したい。
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Research Products
(2 results)